語りかける慈愛の微笑み。
県内で唯一の、円空仏。



2017年11月某日
「そういえば、山形にも“円空仏”があるみたい」連れの話に興味を引かれて聞けば、ずいぶん前にNHKの番組で観たのだという。“円空仏”は江戸初期の遊行僧、円空が制作した仏像だ。プロの仏師と異なり、己の信仰の表現として各地で仏像をひたすら制作した円空は“造仏聖”の名でも人々に敬愛されている。素朴ながらも個性あふれる円空仏は現在、国内に約5,300体が確認されている。そのほとんどは出生地の美濃国(現:岐阜県)周辺にあるが、東北や北海道の一部でも発見され、山形県内にも一体あるらしい。
向かったのは庄内町の北部、閑静な狩川地区にある「見政寺」。寺は住宅の間の少し分かりにくい細い参道を進んだ先にひっそりとあった(ナビを推奨!)。
仏像の拝観は予約が必要だ。「お電話していた者ですが」と寺務所を訪ねると、出迎えたご高齢のご住職がにこやかに本堂へと案内してくださった。まずはご本尊の釈迦牟尼仏に一拝。噂の円空仏は隣り合う須弥壇の、小さな厨子の中にすっぽりと納まっていた。
愛らしい。その第一印象だ。手を合わせるのを忘れ、その尊顔に見とれてしまう。高さは30㎝ちょっとだろうか。木の筋目をシワに見立てた法衣の上に、ちょこんと童子のようなお顔が彫り込んである。何より目を引くのは、穏やかな微笑みを湛えたその表情だ。
ご住職に促され、お茶をいただきながらそのまま像の数奇な物語に耳を傾ける。正式名称は木造観音菩薩立像。伝承によれば昔、羽黒山荒沢寺から当寺に辿り着いたひとりの遊行僧が、住職のもてなしへの礼として、この像を授けたのだという。のちにそれが、円空仏ではないかとの指摘から調査され、専門家による検証の結果、正式に認められた。修行僧がなぜ、この仏像を持っていたのかは分からない。しかし晩年に円空自らが即身仏となったことからも、当時、日本中に名を馳せていた湯殿山の即身仏の行を円空が見に訪れたのではないか、という説もあるようだ。
ちなみに寺では当初は聖徳太子が彫刻した観世音菩薩として、この像を本尊の脇に安置していた。やがて明治の廃仏毀釈を逃れるため像は別寺に匿われ、時代を経てまた当寺に戻された。たまたま不妊に悩む夫婦がこの像を拝し3人の子宝に恵まれたことから、以後、命を支える仏像として、出産する妊婦がこの像を握り締め元気な子を産んだのだという。その名残は、ツルツルに磨かれた像の表面からも見て取れる。
庶民を愛し愛された御仏が創りだす温かな空間と、穏やかなご住職夫妻のお人柄にも癒され、ほっこりした気持ちで寺を後にする。こじんまりとした寺の前庭には、先代が“円空仏”を模して造らせたという石像が、穏やかな晩秋の陽射しを一身に浴びていた。
500年受け継がれる祈りの芸能、
黒川能の地を訪ねて。
そこからから車で30分程南下した旧櫛引地区は、国の重要無形民俗文化財“黒川能”ゆかりの地だ。その中心に位置する「春日神社」は、500年の歴史を持つ伝統芸能の本拠地。この社は珍しいことに、舞殿が拝殿の中にある。普段は施錠されているが神聖なその雰囲気は、中扉の格子窓から垣間見ることができる。
世阿弥が大成した猿楽の流れを汲む“黒川能”は、いずれの能楽の流派にも属さず、独自の伝承によって受け継がれて来た庄内地方固有の郷土芸能だ。神事であるため玄人の能楽師はおらず、囃子方も含め神社の氏子が務めるのが習わしとなっている。そのため今では廃れてしまった古い演目や演式など、昔ながらの独特の形が数多く残されている。
隣りあう敷地には、その“黒川能”の歴史を紹介する伝承館「黒川能の里 王祇会館」もある(大人1人400円)。館内には貴重な衣装や能面などを展示するギャラリーの他(撮影禁止)、例祭の中でも最も重要な「王祇祭」(おうぎさい)の資料映像がスクリーンシアターで鑑賞できる。興味のある方はぜひ訪ねてみてはいかがだろう。







名残の秋と、はじまりの冬。
狭間の風情にひたる海辺時間と。
荒々しい白波と対照的に、静けさを湛えた空の高さに冬の気配を感じる湯野浜。いさごやにチェックインしてまもなく、つるべ落としの秋の陽を贅沢に楽しもうと、またお気に入りの貸切風呂へ(詳細はこちらのブログを参照)。窓を開け放ち、潮風を深く吸い込みながらのんびりと水平線へと視線を遊ばせる。
本日の夕食は気分を変え、料亭の個室で。見目麗しい晩秋の前菜には「庄内柿の釜盛」に山ぶどうがあしらわれている。「山形牛石焼」に「もどりサワラの杉板焼」、上品な「土瓶蒸し」のお出汁でいただいた「鮭の炊き込みご飯」まで。名残の秋の味わいは、お腹で愉しむ一篇の物語だ(笑)。食後にはラウンジのライブラリーでオンザロック片手に秋の夜長の大人遊び。
穏やかな海が迎えた翌朝。その清々しさと美味い朝食に英気を養い、今日の行き先に話が弾む。向かう“田麦俣”はカメラ好きにはたまらない絵になる山間の集落だ。






暮らしの知恵が育てた
山間の造形美、田麦俣集多層民家。
庄内あさひICから国道112号線を南下し、途中、深い山峡に抱かれた「落ち口の滝」を右手に観ながら谷へと続く旧道をひた走る。“六十里越街道”の中間に位置する“田麦俣(たむぎまた)“は、かつて湯殿山信仰の宿場町としても賑わった地区だという。
やがて30戸程の民家が建ち並ぶちいさな集落に、ひときわ目を引く2軒の茅葺き民家が現れた。田麦俣多層民家だ。妻側から見た屋根の姿が武者の兜の形に似ていることから“兜造り”と呼ばれるこの家は、広い敷地が確保できない山間地において、居住空間と客人を泊める空間を立体的に確保したこの地方独特の意匠だ。
案内版によれば、建物は江戸時代後期の文化文政年間 (1804~30) に建てられたとある。現存する2軒のうち1軒は民宿「かやぶき屋」(現在休業中)で、中は非公開。見学は隣り合う「旧遠藤家住宅」のみとなっている。(大人1人300円 ※入場料の受付は「かやぶき屋」へ)。
豪雪地帯らしい堅牢さが目を引く「旧遠藤家住宅」の内部は3層構造になっており、1階が主人家族の居住空間、2~3階は使用人の住まいや作業場、養蚕に使われたようだ。当初、寄棟造りだった建物は明治中期に導入された養蚕業により、輪郭と反りが特徴の“兜造り”の屋根に改造され、採光と煙出しの窓が造られたという。ちなみにかつてこの地にあった「旧渋谷家住宅」(国重要文化財)は、現在は鶴岡市の致道博物館へ移築され、建物だけならそちらでも見学ができる。とはいえ時間的余裕があるならぜひ、周囲に広がる畑や山河など、この土地に流れる人々の歴史の残り香ごと味わっていただきたい。
そこから車で約10分。“六十里越街道”を上った場所には、日本の滝100選のひとつ「七ツ滝」を遠望できるスポットもあった。落差約90m。色づいたブナ林の中、三条に分かれた真白な水が、再び一条の流れになって落ちる姿は霊場に相応しい厳かな美しさだ。




心に迫る即身仏との対面。
霊場 湯殿山の古刹、大日坊。
ところで日本国内に現在、18体ほど現存する即身仏のうち、6体がここ庄内に集中しているのをご存知だろうか。そのひとつ、程近くの大網地区にある「湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺」には真如海上人(しんにょかいしょうにん)の即身仏がある。真言密教の聖地、湯殿山を開いた弘法大師空海によって807(大同2)年に開創されたこの寺は、徳川将軍家の祈願寺として春日局が参詣したことでも有名だ。
風流な茅葺きの山門は中世室町以前の創建で、運慶作と伝わる仁王像も安置されている。その歴史の重さに少々緊張しながら、受付で拝観料(大人1人500円)を支払い早速、中へ。
重要文化財のご本尊に手を合わせた後、案内されたのは奥の間。真如海上人は、そこに組まれた祭壇に鎮座していた。即身仏とは修行僧が食を断ち瞑想を続けて絶命し、衆生救済のために仏になる真言密教の教義だ。伺えば真如海上人はこの地に生まれ、20代から即身仏を志してこの寺で修行し1783(天明3)年、96歳で入定したという。
かつて東北の農村はみな貧しく、幾度も飢餓に苦しめられた。そのため僧侶たちは、高野山で入定した空海のように、生命の限界を超えて民衆を救うことを願ったという。即身仏とミイラとの違いとは、人間がその形状をとどめたまま内臓も含め自然に乾燥されるという点にある。ゆえに入定した僧侶のすべてが即身仏になれる訳ではなく、傷みの酷いものは無縁仏として供養される。人々が即身仏を“有り難い”仏として信仰する理由は、こんなところにもあるのかもしれない。真如海上人の法衣は6年に一度、衣替えが行われ、古い衣は細かく裁断され信者にお守りとして販売されているようだ。
寺は“女人湯殿山”と呼ばれ、かつて女人禁制だった湯殿山の参詣寺としても大いに賑わったらしい。堂内にはその信仰を物語る多数の仏像・神像が所狭しと安置されている。本堂内に設置されたギャラリーには、徳川家ゆかりの希少な奉納品も展示され見応えも充分。篤い信仰心が形となった、膨大なその遺物にまさに圧倒される古刹だった。
時は新蕎麦の季節。遅めの昼食がてら帰りに立ち寄った近くの「そば処 大梵字」では、風味豊かな地粉“出羽かおり”の十割蕎麦による「天ざるそば」(1,350円)と名物の「行沢のとち餅」(430円)に舌鼓。道を挟んだ向かいには月山ワインや山ぶどうの加工品など、地元特産の土産も購入できる「道の駅 月山」もあった。
敷地内にある吊り橋を歩きながら、ぐっと冷えてきた夕方の寒さにまもなく訪れる長く厳しい冬を思う。ある人の言葉を借りれば、庄内の冬は夏同様に海の存在を感じる季節だという。日本海から吹きつける猛烈な風は、ときには積もった雪を地吹雪に変える。しかし、だからこそひとつひとつの出会いは、一層逞しく清らかだ。酸いも甘いも故郷のすべてを楽しもうと待ち構える庄内の人々の心は、冬こそ熱い。お出かけの際は、迎え撃つこちらも知的好奇心と遊び心の携帯をお忘れなきよう(笑)。
【微笑みの円空仏と田麦俣、湯殿山即身仏 詳細】
■見政寺(けんしょうじ)
見龍寺の末寺で1688(元禄元)年の創建と伝わる曹洞宗の寺。山形県ではただ1体、江戸初期の僧侶円空が諸国を遍歴しながら残した円空仏が安置されている。
〈見政寺の円空仏〉(木造観世音菩薩立像)
総高34.7cm、像高30cm、台座高4.7cm、町指定有形文化財。円空仏は一刀彫によるノミ跡を大胆に残した荒々しい造形と、慈愛に満ちた微笑みが特徴と言われる。
※拝観は要予約
住所/山形県東田川郡庄内町狩川字阿古屋33
TEL/0234-56-2229
↓山形新聞掲載記事より
〈円空〉
美濃国(岐阜県)出身の天台宗の遊行僧。江戸時代前期、全国各地に巡錫し素朴で独特な風合いの仏像を多数残した。それらの素朴な仏像は“円空仏”と呼ばれ、近年、その芸術的価値が再評価。円空自身への親しみやすさや聖性なども注目され、その関心が高まっている。遊行は蝦夷地(北海道)から津軽(青森県)に渡り、出羽国(秋田県・山形県)を縦断し越後国(新潟県)または陸奥国(宮城県)に抜け美濃国に戻ったと推定されている。
■春日神社
平安時代初期の806(大同2)年の創建と伝わる。国重要無形民俗文化財黒川能が奉仕される神社として有名。上杉景勝や最上義光をはじめ、1622(元和8)に庄内藩主となった酒井家など歴代領主の信仰も篤く、神事能は藩の式楽として保護された。
住所/山形県鶴岡市黒川字宮の下291
TEL/0235-57-3019(春日神社社務所)
駐車場/有
〈黒川能〉
約500年もの間、庄内地方に受け継がれて来た固有の郷土芸能。室町時代に織られた能装束が現存していることから、少なくとも室町時代末期には発祥していたものと推定。奉納神事でもあるため、能の上演においては神主が祈祷してから執り行われる。能役者や囃子方も春日神社の氏子が務めるのが習わし。神事として年4回の奉納される上演の中でも旧正月の2月1日に行われる「王祗祭」は最も重要な祭りとなっている。国の重要無形民俗文化財(1976年指定)。
■黒川能の里 王祇会館(おうぎかいかん)
黒川能を広く紹介する展示機能と、イベントや研修など地域住民の交流や生涯学習の機能を併せ持つ施設。館内には国指定重要文化財となっている春日神社所蔵の装束や能面などの展示の他、「王祗祭」の映像上映、また黒川能人形や関連書籍、ビデオなど黒川能グッズの販売コーナーもある。
住所/山形県鶴岡市黒川字宮の下253
TEL/0235-57-5310(黒川能の里 王祇会館)
開館時間/9:00~16:30
休館日/毎月第1水曜・年末年始
入館料/大人400円 小中高生200円
駐車場/有
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■田麦俣多層民家
庄内地方と村山地方を結ぶ六十里越街道の中間点、田麦俣にある民家。田麦俣はかつて湯殿山神社への参拝客が立ち寄る宿場町としての性格を有していたことから、豪雪に耐え、かつ客人を迎える広い居住空間の確保のため多層となり、その後、明治中期の養蚕業のためさらに改造され、“兜造り”と呼ばれる独特の建築様式となった。かつて田麦俣に50軒ほどあった民家も、現在では「民宿 かやぶき屋」(休業中)と「旧遠藤家住宅」の2軒のみとなっている。
※かつて田麦俣にあった「旧渋谷家住宅」(国重要文化財)は、1965(昭和40)年に鶴岡市内の致道博物館に移築
・旧遠藤家住宅
「かやぶき屋」に隣接して建つ兜造り多層民家。化政年間(1804~30)の築と推定されており、現在の建物は明治10年代の姿に復元されたもの。3層構造で屋内は当時使用していた生活用具や農具等が展示されている。県指定有形文化財。
住所/山形県鶴岡市田麦俣七ッ滝139
TEL/0235-54-6103 (民宿かやぶき屋)
開館時間/9:00~17:00
入場料/大人300円 ※受付は「民宿 かやぶき屋」へ
定休日/月曜・年末年始(12/29~1/3)
駐車場/有
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■落口の瀧
国道112号線から旧道に入って直ぐの右手の対岸に見える山峡の滝。「七ツ滝」の流れが田麦川に流れ込む合流点に懸かる滝で落差は約20m。※周囲に駐車場はないため、見学の際は走行車に注意
■七ツ滝
田麦俣集落から500m程上った場所にある七ツ滝公園から遠望できる滝。落差は上方50m、下方40m。幾本もの流れの筋が岸壁の途中で一つにまとまって落ちている。日本の滝100選のひとつで、新緑と紅葉の名所。伝承によれば、湯殿山参りする行者がこの滝に打たれて篭り身を清めたと伝えられている。
■湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺(だいにちぼう りゅうすいじ)
807(大同2)年、弘法大師空海により開創された大寺院で、徳川家光の時代における徳川家の別当祈願寺。湯殿山は女人禁制であったため、一年を通し参詣できるよう湯殿山の神仏を勧請(かんじょう)して建立したのが起源。明治の廃仏毀釈を乗り越えた真言宗を護持した四ヶ寺の一つ。かつては間口42間幅12間の大伽藍だったが、1875(明治8)年に被災。その後、地すべりの災禍により1936(昭和11)年に現在の地に規模を縮小して移転。本尊の金胎両部大日如来坐像は秘仏で、6年に一度(丑歳と未歳)に御開帳される。「大日坊」の号は瀧水寺の本坊であった旧本堂の名に由来。
“代受苦菩薩真如海上人”の即身仏をはじめ、境内には12代景行天皇の皇子御諸別皇子(みもろわけのおうじ)のご陵所に植えた県指定天然記念物樹齢1800年の老杉“皇壇の杉”や、全国屈指の大きさと言われる“宝筐印塔”など、数多くの文化財を有している。
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〈徳川家との関係〉
熾烈を極めた徳川家三代将軍の座をめぐり、幼君「竹千代」(後の三代家光)の乳母お福(春日の局)が、人知れず大日坊を参拝。その後、家光が重い病気にかかった際も、 病気平癒祈願として内心の旗本“久米助右エ門(法海行人)”が代参した。家光も大日坊に大日如来を奉納、堂宇を再建。徳川将軍家全国七ケ寺の一別奉納祈願寺となった。寺宝の中には春日局が家光の治世の安泰を祈願して奉納した金剛界大日如来像や、家康公の冥福を祈るために奉納した雲首型の家康公位牌などがある。
〈即身仏/真如海上人(しんにょかいしょうにん)〉
農家の長男として旧朝日村越中山に生まれる。山からソリで材木を運搬する仕事中に、自身の子供がソリの下敷きになり命を落としたことをきっかけに、その弔いをするために大日坊に出家。以後70余年、難行苦行を積み重ね、大飢餓に苦しむ衆生を哀れみ96歳で入定し即身仏となった。
住所/山形県鶴岡市大網入道11
TEL/0235-54-6301
拝観時間/8:00~17:00 ※無休
拝観料/大人500円 中学生400円 小学生300円
駐車場/有
・仁王門
地滑りの倒壊を免れ旧境内地より移転した唯一の建物で、鎌倉時代の創建と伝わる。三間一戸の八脚門としては日本最古の建築で、山形県有形文化財。正面左右に風神雷神像が安置され、奥には鎌倉時代運慶作と伝わる仁王像もある。
■そば処 大梵字(だいぼんじ)
道の駅からの道を挟んだ敷地内にあるそば処。地元、朝日地区内にあった築150年以上の旧家を移築した建物内で味わう、地元そば粉による十割蕎麦が自慢。冬に積もった雪を利用した雪蔵で保存した蕎麦は、一年を通じて挽きたての香りが味わえる。予約より蕎麦打ち体験もできる。
住所/山形県鶴岡市越中山字名平4-2(道の駅「月山」月山あさひ博物村内)
TEL/0235-53-3413
営業時間/11:00~17:00
定休日/4~10月:無休
11~3月:第4月曜
駐車場/有
■道の駅月山(「月山あさひ博物村」)
山形と鶴岡を結ぶ国道112号と梵字川渓谷の間にある道の駅。敷地内には、長さ約72m、高さ35mの吊り橋の他、地域の歴史と文化を紹介する「文化創造館」や、特産の山ぶどうを原料にした月山ワインやジュースなどを製造工程を見学しながら試飲・試食できる「山ぶどう研究所」、旧国道のトンネルを利用したワイン蔵「トンネルピット」を併設。地下道で繋がった向かい側には、そば打ちの体験と食事もできる「そば処 大梵字」もある。
住所/山形県鶴岡市越中山字名平3-1(国道112号線沿い)
TEL/0235-53-3411
営業時間/9:00~17:00
定休日/12~3月の第4月曜・年末年始
駐車場/有
↓パンフレット・みちくさMAPはこちら