11月 東北の霊場、羽黒山

神霊に出会える杉古道。
みちのくの山岳信仰の霊場、羽黒山。

02羽黒山入口s.jpg06羽黒山最初の坂s.jpg
2016年11月某日
 ご存知だろうか。かつて“西の伊勢詣り、東の奥詣り”と呼ばれた修験道の聖地、出羽三山には、現在・過去・未来に渡る救済思想がある。羽黒山、月山、湯殿山を巡るいわゆる“三山詣で”は、この三世における死と再生(よみがえり)を果たす旅とも言われる。
 厳寒の冬には閉鎖となる月山、湯殿山と異なり、一年中、参拝できる羽黒山山頂にはこの三山の神を合祀した「三神合祭殿」が鎮座し、そこを参詣すれば一度に三山詣でができるという。寒さも押し迫る11月初旬。今年の紅葉の見納めも兼ね、一路、羽黒へ車を走らせる。

01羽黒山大鳥居s.jpg05羽黒山天拝石s.jpg03羽黒山随神門s.jpg07羽黒山下居社s.jpg
08羽黒山祓川神橋s.jpg11羽黒山須賀の滝s.jpg
13羽黒山爺杉s.jpg16羽黒山五重塔修験者s.jpg18羽黒山一の坂s.jpg

 羽黒山参詣での表玄関となる「随身門(ずいしんもん)」は、鶴岡ICから「羽黒山大鳥居」方面へ車で約25分。ここはミシュラングリーンガイドジャポンの3つ星でも話題となった、巨木の杉林に2,416段もの石段が続く表参道の起点だ。
 出羽三山の開山は古く6世紀。伝承によれば、この地に辿り着いた第32代崇峻(すしゅん)天皇の御子である蜂子皇子(はちこのおうじ)が難行苦行の修行により羽黒権現の出現を拝し、さらに月山権現と湯殿山権現を感得し三山を開山したという。
 訪ねた日はあいにくの雨模様。近くの「いでは文化記念館」に車を停め、意を決して門前へ。ここから先は出羽三山の広大な神域だ。歩き始めてすぐ世界は一変。凛とした空気のなか、国の天然記念物にも指定される樹齢300~500年の杉並木の生気が体に染み込んでくる。「継子坂(ままこさか)」と呼ばれる下り石段を、滑る足元に注意しながら進むこと約10分。産土神(うぶすながみ)を祀る下居社が見え、その先に朱塗りの「祓川(はらいがわ)神橋」が現れた。
 「まさに、心が洗われるわね」と、清々しい顔で連れが呟くここは、かつて山詣での人々が水垢離をした場所だという。視界が開けた周囲は紅葉のスポットでもあるらしく、暗闇に慣れた目に眩しい程の彩りが飛び込んでくる。橋向かいの懸崖には、50代別当(住職)の天宥(てんゆう)が築造した人工の「須賀の滝」が、白い絹糸のように岩肌を縫いとっている。
 国宝「五重塔」はこのすぐ先にある。東北で最古と言われる塔の高さは約29.0m。現在のものは約600年前に再建されたものだ。重厚な存在感を放ちながらも華美に主張しないその佇まいは、景色に溶け込む素木造りのせいか、はたまた塔の高さを遥かに凌ぐ周囲の美林のせいだろうか。傍らにはそんな羽黒の物語を千年見守ってきた「爺杉(じじすぎ)」が、語り部のように聳えていた。
 参拝路のひとつの区切りでもある五重塔までは、片道20分程。山頂の祭殿までは別途、羽黒山有料道路を使い車で向かう軽快なフットワークもある。足腰に自信のない方や、時間に追われる観光ならここで折り返し、そちらを選ぶのもいいだろう。

20羽黒山葉山衹神社s.jpg21羽黒山山衹神社から眺望s.jpg22二の坂茶屋s.jpg23羽黒山二の坂s.jpg
24羽黒山表参道杉並木s.jpg25羽黒山芭蕉三日月碑s.jpg28羽黒山三の坂s.jpg29植山姫神社s.jpg30羽黒山斎館s.jpg33羽黒山斎館s.jpg35羽黒山山頂鳥居s.jpg

生まれ変わりを祈る“産道”で、
八百万の神々に見守られながら。

 “一の坂、二の坂、三の坂”と杉木立を従え奥へ奥へと伸びる参道は、喧騒と無縁の静寂の世界。ゼイゼイと荒い自分の息遣いだけが、辺りの空気を震わせていく。
 やっと辿り着いた「二の坂茶屋」は、参道の中でもとりわけ急な“油こぼしの坂”の上にある。ここで飲み物を入手し、まずは生き返りの一服(笑)。茶屋からは、晴れていれば庄内平野が一望できる。江戸時代、人々はここから眺める水を張った春の美しい田園を“陸の松島”と呼んで愛でたという。伺えば、電気もガスもないここで参詣者を迎える店の方々は、急勾配のこの坂を毎日重い荷物を背に上り下りしている(!)。興味深い話と評判の“力餅”(500円)に心は傾くが、不安定な空模様に「また帰りに寄ってみます」と、挨拶をして先を急ぐ。
 ここからは、参道の中でも神々しい景観で知られる静謐な巨木の森だ。羽黒山に石段が造られたのは約400年前。この道をどれほどの修験者が往来したのだろうか。山内には芭蕉ゆかりの「三日月碑」など、ここを訪れた文人墨客の句碑や詩碑など、多くの石碑も建立されている。人々の祈りが行き交った歴史の突端にいることに、感慨を覚えずにはいられない。
 かつて寺宝前院があった「旧御本坊跡」を過ぎれば、いよいよ最後の難関“三の坂”。道はここで2つに分かれ、一方は松尾芭蕉が“奥の細道”の行脚の際、逗留した別院があった“南谷”へと続くようだが、迷わずこのまま山頂を目指すことにした。
 向かう途中、びっしりと赤い紐が結ばれた社が目を引く「植山姫(はにやまひめ)神社」は、イザナミノミコトの“糞”から生まれた土の神、ハニヤマヒメノミコトを祀る社だ。いのちを育み“モノを生み出す”ことから陶磁器の守護や安産、良縁を呼ぶ縁結びの神として、今も篤く信仰されているという。参道は私たちのルーツでもある、古代信仰に触れる貴重な場所でもある。
 深い霧のなかに現れた「斎館」はかつて華蔵院という名の寺だった由緒ある建物。現在は参拝客の宿泊所や、精進料理が楽しめる食事処としても利用されている。そこから山頂の赤鳥居までは数分だ。鬱蒼とした暗い杉木立から一気に明るみの世界に躍り出る心地は、まさに母の胎内から出づるいのちの再生を彷彿とさせてくれる。

36羽黒山三神合祭殿s.jpg37羽黒山三神合祭殿s.jpg出羽三山神社三神合祭殿御朱印.jpg
51羽黒山山頂帰路s.jpg38羽黒山三神合祭殿s.jpg49羽黒山山頂紅葉s.jpg
45羽黒山山頂上居社s.jpg47羽黒山山頂上居社建角身神社奉納s.jpg48羽黒山山頂風車s.jpg52寝覚屋半兵衛s.jpg

風格の中に宿る包容力。
迫力の茅葺大社殿、三神合祭殿。

 約1時間の道のりを経て着いた山頂は、雨に色を増した紅葉が彩る錦絵の世界。私たちの目の前に現れた「三神合祭殿(さんじんごうさいでん)」は、“合祭殿造り”と呼ばれる羽黒派古修験道独自の様式だ。どっしりとした厚さ2.1mもの茅葺きを持つ社は全国最大だが、丸みを帯びたそのフォルムはどこか優しくさえ感じる。早速参拝し、珍しい見開きの御朱印をいただく。
 社殿前の「鏡池」は羽黒神社の御神体で、一年を通して水位が変わらない神秘の池として信仰されてきたという。参集殿前には、大梵鐘のあるこれまた萱葺き屋根の鐘楼もある。境内には他にも天宥法印を祀る「天宥社」や先祖祭祀の「霊祭殿」、また「鏡池」から出土した銅鏡などを展示する「歴史博物館」など見所が多い。“百一末社”である出羽三山には多数の末社も散在し、ここ羽黒山でも7つの社が並祀されているようだ。そのひとつ、修験道の祖として知られる役行者(えんのおづぬ)を祀る「末社健角身(たけつぬみ)神社」には、旅の安全や健脚を願い奉納された多くの靴もあった。
 社殿周囲には、ところどころ足場も組まれ冬囲いの準備も始まっている。一年を通じ参拝できる羽黒山といえども、ここは県内屈指の豪雪地帯。ましてや雨の今日の気温は真冬並み。凍てつく寒さに連れの嘆願(笑)で、私たちも参集殿でしばし暖をとりつつ休憩することににした。(ちなみに公衆トイレは、参道登り口の手前と山頂の参集殿のみ。上る際には注意していただきたい。)
 帰りは、膝がガクガクと笑う下り坂(笑)。晩秋の日の短さに既に店じまいしていた「二の坂茶屋」を惜しみ、下山後は少し遅めの昼食を求め、前回訪ねそびれた善寳寺近くの麦きりとそばの有名店「寝覚屋半兵衛」(詳しくはこちらのブログを参照)の暖簾をくぐる。創業120年の老舗らしく、メニューは麦きりと生そばの2つのみ(笑)。“そね”と呼ばれる庄内地方独特の角盆に盛られた麦きり(2人前 1,550円)は、食べ応えあるボリュームと程よいコシ。甘めの出汁と辛子がよく合う旨さだった。

55いさごや客室sjpg.jpg54いさごや客室s.jpg56いさごや吟水湯s.jpg
59いさごや夕食s.jpg60いさごや夕食s.jpg62いさごや夕食s.jpg63いさごやセラーs.jpg64いさごや夜ライブラリーs.jpg
66いさごや朝窓からs.jpg67いさごや朝食s.jpg68いさごや朝食s.jpg69いさごや朝食s.jpg

海が迎えるくつろぎと口福。
心に沁みる晩秋の湯宿の幸。

 強まる雨足に急ぎ足でいさごやへ向かい、まずは「吟水湯」で冷えた体をじっくり温める。少し白波が見えるものの、暮れゆく海は今日も饒舌な物語のようだ。清浄な山の恵みの祝福を受けた一日を振り返り、少々酷使した足を念入りにいたわる(笑)。
 遅い昼食で心配した夕膳も「庄内柿の白和え」や「あけびの肉味噌詰め」、「土瓶蒸し」など、名残の秋を映した見た目も鮮やかな献立に、おのずと箸は進む。和食にとどまらない「海鮮ホワイトソースパイ包み焼」の洋皿は、連れもいたく気に入ったようだ。
 ダイニングのある同じフロアの一角には、庄内のすべての酒蔵の銘酒をそろえた酒庫「幽居」もある。ここで好みの酒をオーダーすれば、夕食時をはじめ、ルームサービスでも届けてもらえるらしい。料理宿としての流石の気遣いだ。
 食後はバーも兼ねたラウンジのライブラリーで、連れは興味深い一冊を見つけたらしい。一心に読みふける彼女を置き、私はまた風呂を楽しむことにした。
 翌朝の天気も曇天。今にも泣き出しそうな空を眺めいただく朝食には、県内の9割以上の水揚げを誇る酒田名物の「イカ刺し」や、ご当地らしい「ハタハタの陶板焼」も登場。その美味さに元気を得て、昨日、時間切れで訪ね損ねた寺の話へと花が咲く。

70玉川寺s.jpg71玉川寺s.jpg81玉川寺s.jpg
75玉川寺s.jpg76玉川寺s.jpg78玉川寺s.jpg玉川寺御朱印.jpg85正善院黄金堂s.jpg86正善院黄金堂s.jpg87黄金堂お竹大日如来s.jpg

波乱の歴史が育んだ
風情と人情の古刹逸話。

 向かう「玉川寺(ぎょくせんじ)」は、「羽黒山大鳥居」の手前を右手に入り少し進んだ先にある。別名“花の寺”とも呼ばれるここは、月山の湧水を引いた庭園に咲き誇る四季の花々の景色でも愛されている。寺の開山は鎌倉時代の1251(建長3)年だが、現在に至る名園はこれまた、羽黒山の天宥別当の手によるものらしい。京都の小庵を思わせるその風情は、骨太な羽黒とは対象的な繊細さだ。緋毛氈が敷かれた回り縁でゆったりと抹茶とお菓子(400円)をいただきながら、目の前に広がる名園の一幅に酔いしれる。
 そこから程近く、宿坊が立ち並ぶ門前町の手向(とうげ)地区には、羽黒山開祖の蜂子皇子ゆかりの御堂「正善院黄金堂」もある。寺は明治時代、廃仏毀釈の手を逃れた羽黒山一帯の貴重な仏像群が持ち込まれたことでも知られ、山伏修行の荒澤寺(こうたくじ)を管理する首院だという。境内には“庶民の中から生まれた仏”として、江戸時代に実在した“お竹さん”を祀る「於竹大日堂(おたけだいにちどう)」も見え、晴れた日にはここから月山のたおやかな優姿が望めるようだ。
 圧倒的な自然のパワーを体感しながら、私たち日本人の根底に流れる精神文化にあらためて触れた羽黒山参詣。出羽三山への旅は、いわば故郷に還る旅だ。まもなくこの地を覆う長く厳しい冬。深く清らかなその眠りの先に“よみがえり“の春は繰り返し、出羽の山々もまた、新しいいのちの再生に目覚める。夢にも似たその営みこそが、私たちをこの地に惹きつけて離さない、もうひとつの神力なのかもしれない。



【東北の霊場、羽黒山 詳細】

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■出羽三山
月山(標高1,984m)を主峰に、峰続きの湯殿山(標高1,504m)、そして羽黒山(標高414m)からなる山の総称。古くから山岳修験の山として知られる。開山は約1,400年前、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山に登拝し羽黒権現を獲得、山頂に祠を創建したのが始まりとされる。皇子はさらに月山権現と湯殿山権現を感得し、三山の開祖となった。出羽三山が神道化されたのは明治の神仏分離令以後。

・パワースポットとしての「出羽三山」
一説では羽黒山は男性的な包容力、湯殿山は荒々しい厳しさ、月山は優しく穏やかな“気”を持つとされる。羽黒山は自分の霊的曇りを気付かせてくれる神域。湯殿山は霊的曇りを払う神域。月山は霊界に癒しのパワーを送る神域とも言われる。

・蜂子皇子
出羽三山の開祖。五穀の種子を出羽の国に伝え、人々に農耕を教え、産業を興し、治病の方法を教え、人々のあらゆる苦悩を救うなど、幾多の功徳を残した。全ての民の苦悩を“能よく除く”ことから“能除太子(のうじょたいし)と称され91歳で薨去。人々の苦悩を一身に引き受けたその御姿はみにくく、口は大きく耳まで裂け、鼻の高さは三寸、顔の長さは一尺五寸もあったと伝えられる。

■羽黒山大鳥居
高さ22.5m。1929(昭和4)年、山形市吉岡鉄太郎が奉納した大鳥居。羽黒山に向かう県道47号線の途中にある。山頂付近にある本殿までは、ここから羽黒山有料道路を通り車で行くことも可能。
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■いでは文化記念館
羽黒山参詣道の入り口近くにある博物館。出羽三山の歴史を展示、紹介するとともに、山伏修行体験塾も開催している。羽黒山参詣の場合、無料駐車場として利用もできる。“いでは”の名称は「出羽」、ドイツ語の“idea(イディア=理想理念)”に由来。

住所/山形県鶴岡市羽黒町手向字院主南72
TEL/0235-62-4727
営業時間/9:00~16:30(4~11月) 
     9:30~16:00(12~3月)
     9:00~22:00 (レクチャーホール・レクチャールーム・和室等)
休館日/火曜および年末年始 ※7・8月およびGW期間は無休
入館料/大人400円  高校・大学生300円 小・中学生200円
駐車場/有

■羽黒山
出羽三山の主峰である月山の北西山麓に位置する山(標高414m)。会津や平泉と共に東北仏教文化の中心として修験道の聖地とされる。観音を本地仏とし、死者が集まる山としても信仰された。

※羽黒山は通年参拝できますが、積雪のため「五重塔」から山頂までは通行できないこともあります。なお、羽黒山有料自動車道は除雪するため、山頂まで車での通行が可能です。
お問い合わせ/0235-62-4727(羽黒町観光協会:いでは文化記念館内 ※火曜定休)
↓パンフレットはこちら
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・天拝石
随神門の前にある巨石。その昔修験者の行法を行った場所の石で、この奇石を通し天を祀ったとされる。
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・随神門
出羽三山の神域の表玄関。元禄年間(1688~1703)、神域に穢れや邪悪が侵入するのを防ぐ仁王門として矢島藩主(秋田県由利本荘市矢島町)より寄進された建物。明治の神仏分離令により、随身像(櫛石窓神・豊石窓神)を祀り随神門となった。出羽三山神社が神仏習合していた時代の貴重な遺構。
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・継子坂 ままこさか
随神門から続く長い下り坂。呂笳(呂丸の弟子)編「三山雅集」によれば、昔、さがない女が幼い継子をこのほとりに捨てたところ、子は母を探して這い歩き、石段に小さい足あとを残したという逸話からこう呼ばれる。
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・羽黒山杉並木
「随神門」から山頂まで約1,700mに渡り続く杉並木の参道。国の特別天然記念物に指定。第48~50代の3代に渡る羽黒山別当によって植林されたもの。樹齢300~500年の大杉が400本以上立ち並ぶその姿は壮観。2,446段の石段は龍道(生気の通り道)とされ、歩くだけで運気が増幅されると言われる。石段には盃や蓮、ひょうたんなどの絵が33個彫られ、全部見つけると願い事が叶うという。毎年10月には、大鳥居からこの石段を駆け上る《羽黒山石段マラソン全国大会》の他、文化財を巡る石段ウォーキングも開催される。
24羽黒山表参道杉並木.JPG23羽黒山二の坂.JPG

・祓川と須賀の滝 はらいがわとすがのたき
「祓川」(庄内地方を流れる京田川の上流域)は継子坂を下りた場所にある川。昔、三山詣での人々は必ずこの川に身を沈め水垢離をした後、登拝の途についた。神仏分離以前は不動の滝と呼ばれた「須賀の滝」は、第50代別当の天宥が、堰を築造し約8km離れた水呑沢からの水を落とした人工の滝。川と祓川神橋(はらいがわしんきょう)、滝のある清々しく美しい景観は羽黒山の見所のひとつ。ここより山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない“清僧修験”が住み、山麓には336坊の“妻帯修験”が住んでいた。
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・五重塔
“一の坂”の上り口にある柿葺、三間五層の素木造りの塔。東北最古の塔と言われ平将門の創建と伝わる。古くは瀧水寺の五重塔とされ、1966(昭和41)年に国宝に指定。現在のものは15世紀頃再建された。明治の神仏分離令により、従来神仏習合だった羽黒山は神道を奉じることなり、五重塔も破壊の対象となったが、羽黒山の象徴である塔は全山を挙げての嘆願により破壊を免れた。毎年夏にはライトアップと夜間参拝(※夜間参拝協力金として一人200円)が行われ、幻想的な姿が映し出される。日本三大五重塔のひとつ。
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・爺杉 じじすぎ
「五重塔」近くにある樹齢1000年、幹周り約10mもの杉の巨木。国の天然記念物。以前あった“婆杉”と共に山の名物として慕われたが、“婆杉”は1902(明治35)年の豪風で失われ現在は“爺杉”だけが残る。
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・ニの坂茶屋 ※営業は毎年4月末から11月初旬まで
参道の中間、“ニの坂”の途中に江戸時代から参拝者を受け入れてきた茶屋。ここからは庄内平野が一望できる。希望により、2,446段の階段を踏破した“認定証”(無料)も発行してくれる。
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◎油こぼしの坂
“二の坂茶屋”のすぐ下に位置する急勾配の石段。羽黒山を訪れた武蔵坊弁慶があまりの急勾配に奉納する油をこぼしてしまった、と伝わる。

・旧御本坊跡(御本坊平)
かつて羽黒山をおさめていた大伽藍の若王寺宝前院があった場所。参道をはさんで向かいには、、当時の各代別当の供養塔や石地蔵もある。
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・三日月塚(芭蕉塚)
芭蕉翁の文字を刻む石碑。1769(明和6)年に建立。芭蕉が「涼しさやほの三か月の羽黒山」の句を詠んだところと伝えられ、説明板に“翁、羽黒山畄(留)杖の折、羽黒の句『涼しさや・・・』の発句の処”と記されている。
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・埴山姫神社 はにやまひめじんじゃ
“三の坂”の途中にある縁結びの神様として名高い神社。お守りである縁結びの赤い紐は山頂の「参集殿」で購入でき、社の格子にお結んでお祈りすると縁結びのご利益があるとされる。

・羽黒山南谷別院跡
約300年前、羽黒山第50代別当天宥法印が築造した別当寺の別院跡。松尾芭蕉が奥の細道行脚の折、6泊したことでも知られる。明治時代の廃仏毀釈により寺院は打ち壊され、現在は礎石が残るのみ。現在は院をめぐって配された心字池等が再現されている。県指定史跡。全国かおり風景100選のひとつ。

・斎館 (旧 華蔵院)
“三の坂”を上りきった場所にある建物。1697(元禄10)年に再建された正穏院、智憲院と共に三先達寺院のひとつで、羽黒山執行別当に次ぐ宿老が住した寺。明治の神仏分離の折、宿泊や精進料理を提供する「斎館」(参籠所)として残った。かつて山伏達が住した遺構として今に残る唯一の建物。
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・三神合祭殿(出羽三山神社)
高さ約28m、桁行約24.2m、梁間約17m。藁茸木造建造物として日本最大の大きさを誇る社殿。月山・羽黒山・湯殿山の神を合祀。現在の社殿は1818(文政元)年に再建。三山は参拝すれば自分の過去、現在を癒し、未来への活力を得られるとされ、三神合祀のここを参拝すれば三山を巡ったことになることから、多くの参拝者が訪れる。祭殿は一棟の内に拝殿と御本殿とが造られている、合祭殿造りとも呼ばれる独特の様式を持つ。内内陣は御深秘殿と称し、17年毎に式年の造営が斎行される。国の重要文化財。
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・鏡池
三神合祭殿の前にある御手洗池。古書では“羽黒神社”と書いて、“いけのみたま”と読ませており、この池は神霊そのものとされ羽黒信仰の中心とされた。「鏡池」の名は、平安から鎌倉時代にかけて奉納された銅鏡が数多く埋納されたことによる。この池と蜂子皇子が上陸した八乙女浦はつながっているという伝説がある。

・天宥社 てんゆうしゃ
羽黒山中興の祖といわれる別当天宥法印を祀る社。天宥法印は、羽黒山参道に石段を整備し、杉並木の植林、また祓川に須賀の滝を落し南谷を開き、玉川寺庭園の作庭をするなど多くの業績を残したが、黒衣の宰相と言われた天海僧正と結び、出羽三山を真言宗から天台宗に改宗しようとして新島に流罪になった。その後、明治に許されてこの社に祀られることになった。

・蜂子神社
表参道石段の終点鳥居と本殿の間の厳島神社と並ぶ社殿。出羽三山神社御開祖・蜂子皇子を祀る。

・鐘楼と建治の大鐘
「鏡池」の東にあり、切妻造りの萱葺きの鐘楼。最上家信の寄進で1619(元和4)年再建。山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物。鐘は1275(建治元)年の銘があり、古鐘では東大寺、金剛峰寺に次ぐ巨大さとされる。国の重要文化財。

・出羽三山神社参集殿
地上2階、地下1階。従来の直務所の機能に参拝者の受入施設、神職養成所、さらに儀式殿を附設した多目的施設。

・東照社
1641(寛永18)年、徳川幕府の宗教顧問であった東叡山の天海僧正の弟子となった天宥別当が、羽黒山を天台宗に改宗する条件として勧請した東照権現の社。天海僧正は鶴岡城主酒井忠勝に働きかけ1645(天保2)年、藩主が社殿を寄進。以来、歴代の藩主に崇敬庇護された。現在の社殿は1980(昭和55)年、解体復元されたもの。

・霊祭殿
祖先の御霊を供養する社殿。往古より祖霊安鎮の山とされてきた出羽三山は、祖霊を鎮魂する風習が現在も盛んに行われている。社殿の天井には天女に導かれた御霊が龍(昇り龍・降り龍)に守護されて昇天する姿を描いた熊澤観明画伯奉納による“天女と神龍”の鎮魂絵が描かれている。

・末社
百一末社の出羽三山は、羽黒山をはじめ月山、湯殿山の山嶺、また幽谷に多数の末社が散在。羽黒山にも大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社が祀られている。
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末社健角身神社
旧行者堂と呼ばれた社。役行者を祀る。足の弱い者が下駄を供え、健脚を祈る風習がある。

・出羽三山歴史博物館
1915(大正4)年、出羽三山神社の宝物館として設立。1952(昭和27)年、「出羽三山歴史博物館」と改称し、1970(昭和45)年に現在の建物が竣工。鏡池から出土した500面以上のうち190面の銅鏡(重要文化財)や仏像など、神仏習合の修験道時代の品を収蔵。松尾芭蕉に関する古文書も必見。

住所/山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒山33
TEL/0235-62-2355
開館時間/8:30~16:30(入館は16:00まで)
拝観料/大人300円 高校・大学生200円 中学生以下は無料
休館日/木曜
駐車場/有

■寝覚屋半兵衛 ねざめやはんべい
創業1873(明治6)年の麦切りと生そばの老舗。麦切りといえば半兵衛と言われる有名店で、地元をはじめ県外から足を運ぶ客も多い。店のメニューは麦切りと生そばの2種類のみ。“寝覚屋”の名の由来は、麺作りに家運を賭け、寝る間も惜しんで味を追求した初代主人の姿を見た本系がつけたとも、夜なべをした村人が半兵衛の冷たい麦切りを食べ、目が覚めるほどおいしかったという2説がある。

住所/山形県鶴岡市馬町枇杷川原74
TEL/0235-33-2257
営業時間/10:00~15:00 ※時間外の持ち帰りは要電話
定休日/水曜、第2火曜 ※G.W、盆、祝日、祭日は営業
駐車場/有
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■国見山 玉川寺 ぎょくせんじ
鎌倉時代の1251(建長3)年、大本山永平寺開祖道元禅師の高弟であった了然法明禅師によって開かれた曹洞宗の寺院。南英禅師が作庭した庭園は、その後、造園技術にも長けた羽黒山の天宥別当によって池泉回遊式蓬莱庭園の現在の姿に再整備された。3年に一度咲く“九輪草”をはじめとした“花の寺”としても知られ、その風情ある佇まいは鶴岡出身の作家、藤沢周平原作の時代劇映画のロケ地にもなっている。

住所/山形県鶴岡市羽黒町玉川35
TEL/0235-62-2746
拝観時間/9:00~17:00(4~10月)
     9:00~16:00(11~3月)
拝観料/大人400円 小・中学生200円
駐車場/有
↓パンフレットはこちら
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■羽黒山 正善院黄金堂 しょうぜんいん おうごんどう
羽黒山頂の大金堂(だいこんどう/旧羽黒山寂光寺・現羽黒山三神合祭殿)に対し小金堂(しょうこんどう)と呼ばれ、その後、黄金堂と呼ばれるようになった。創建は不詳だが、728(神亀5)年聖武天皇勅願建立した後、1193(建久4)年に、源頼朝が平泉の藤原氏討伐を祈願し建立した説が有力視されている。
正善院は明治時代、神仏分離令により羽黒山の寺で現存が許された3ヶ寺(荒澤寺、金剛樹院)のひとつ。堂内には廃仏毀釈で免れた出羽三山の三十三体の聖観世音菩薩(御本尊)の他、金剛力士像(旧仁王門:現在の随神門に安置)、聖観音、軍荼利明王、妙見菩薩(羽黒山五重塔に安置)など、平安時代から江戸時代までの希少な仏像が約70体安置されている。庄内三十三観音霊場第一番札所。国の重要文化財。
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・於竹大日堂 おたけだいにちどう
江戸時代、大日の化身といわれ、生仏として尊崇されたお竹さん(羽黒山山麓出身)こと、お竹大日如来を祀る御堂。良縁成就、子孫繁栄、安産成就、女性疾患平癒等の女性守護の如来とされる。内部には羽黒山頂にあった三山本地仏(観音・阿弥陀・大日)を安置。女性の守り本尊とされる。次の御開帳は2020年。

◎お竹さん伝説
元和8(1622)年に現在の鶴岡市羽黒町に生まれた「お竹」は、18歳で江戸日本橋の豪商、佐久間家の奉公人となった。気立てがやさしく働き者のお竹は、人の嫌がる仕事を進んで行い米一粒も粗末にせず、自分の食事は飢えた人や動物に与え、自分は残飯を洗って煮て食べていたされ、その慈悲深い人柄が“大日如来の化身”とされた。お竹が亡くなると、佐久間家では仏師に高さ9尺(約3m)の「お竹大日如来」像を彫らせ供養。 その後、生まれ故郷の羽黒山麓「黄金堂」の境内に大日堂を建立し奉納したとされる。
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住所/鶴岡市羽黒町手向字手向231
TEL/0235-62-2380(羽黒山正善院)
駐車場/有