9月 御開帳の善寳寺参り

妙達上人生誕1,150年祭。
史上初の善寶寺御開帳を訪ねて。

00善寶寺門前s.jpg61湯野浜遠景s.jpg

2016年9月某日
 険しい山々が連なる山形県は、その自然障壁により最上川を利用した舟運が栄え、藩政時代から庄内、最上、村山、置賜エリアそれぞれの藩による独自の文化が育まれてきた。中でも日本海と朝日山地に挟まれ国内屈指の稲作地帯を擁し、北前船による上方の影響を強く受けた鶴岡、酒田を中心とする庄内地方は、郷土の暮らしと洗練された都の美、山岳信仰の出羽三山など、魅力あふれる歴史文化で国内外から高い人気を誇る。
 折しも、鶴岡の古刹「善寳寺(ぜんぽうじ)」が、開基 妙達上人の生誕1,150年を記念した史上初の御開帳をしている今年。訪ねるにはまさに絶好の縁年といえる。
 旅の滞在先に選んだ湯野浜温泉は、こちらも開湯1,000年の歴湯。白砂青松の海辺にある温泉郷は、県内の上山温泉、福島の東山温泉と並び、古くから奥羽三楽郷としてもよく知られている。

03善寶寺龍華庵s.jpg04善寶寺三重三観音s.jpg05善寶寺総門s.jpg08善寶寺五重塔s.jpg
10善寶寺五重塔内仏s.jpg09善寶寺五重塔龍の魚彫s.jpg12善寶寺五百羅漢堂s.jpg
15善寶寺山門s.jpg18善寶寺山門毘沙門天s.jpg19善寶寺山門韋駄天s.jpg14善寶寺弥勒堂s.jpg

海に生きる人々が寄せた
祈りと畏敬の歴史堂宇群。

 山形自動車道鶴岡ICから車で約10分。日本海側らしいジトリと湿気を帯びた残暑が続く9月。目指す寺は広大な田園地帯を抜けた丘陵の裾近く、杉木立に囲まれた場所にあった。今からおよそ1,100年前、高僧 妙達上人により開基した「善寳寺」は海の守護、龍神様の寺として、漁業関係者に篤く信仰されている。
 「風格があるわね」連れのそんな言葉どおり、長いその歴史は門前から望む威厳ある佇まいからもうかがえる。参道のすぐ右手に見える「龍華庵」は、今はあいにく修復中。案内板によれば建物は寺の前身である草庵“龍華寺”に由来する御堂で、観音菩薩を祀る内陣天井には再建当時の棟梁による雲龍の天井画があるという。境内にはこの「龍華庵」を含め、2015(平成27)年に指定された6棟の国指定有形文化財がある。
 そのひとつ、「総門」は1856(安政3)年に再建された四脚門。欄間には宝珠をくわえた龍や“二十四孝”の逸話をモチーフにした透かし彫りが、海の守護寺らしく躍動感あふれる波の模様とともに施されている。
 我が国唯一の“魚鱗一切供養塔”であり、寺のシンボルにもなっている高さ38m、総檜造りの大塔「五重塔」は内陣が公開され、如来坐像をはじめ、東京スカイツリーで話題となった法隆寺の五重塔と同様に、芯柱を浮かした耐震構造が見学できる。説明によれば、壁面に彫られた十二支の中で自分の干支を探し、その方角から塔を拝むとご利益があるとのこと。探してみると“辰”が、何故か鯉(?)のような姿に。奥州きっての修行道場らしく、これは滝登りした鯉が龍になるという中国故事にまつわるものだろうか。
 赤瓦葺入母屋の堂々たる佇まいの「五百羅漢堂」には、北海道松前郡の豪商から寄進されたという500体もの羅漢様がひな壇にズラリと鎮座していた。中には友と肩を組むもの、うとうと居眠りをするもの。少しほろ酔い加減の像もある(笑)。どこか微笑ましいその御姿は、親しみを感じる和やかさだ。
 門前から目を引いた二重門の「山門」では、伽藍を守る護法神の“韋駄尊天”と“毘沙門天”の立像が私たちを歓迎してくれた。憤怒の形相の仁王尊と異なり、ここの2大尊仏は力強さの中にも青年のような凛々しさと、菩薩のような慈愛に満ちた柔和な表情だ。門のすぐ脇には宝暦年間(1751~1764)に、この地を襲った大飢饉と悪病を収めるために建立された、巨大な弥勒尊を祀る堂もあった。
 「龍華庵」「総門」「五重塔」「五百羅漢堂」「山門」と、本堂に辿り着く前にして、すでに5つの文化財が林立する寺の格式に、初開帳となるご尊体の期待は高まる。

20善寶寺階段s.jpg23善寶寺感慶殿・本堂s.jpg28善寶寺感慶殿回廊s.jpg29善寶寺慈照殿内資料室s.jpg30善寶寺感慈照殿藤沢書s.jpg31善寶寺感慈照殿吉宗書s.jpg34善寶寺本堂中庭s.jpg35善寶寺稲荷堂庭観るs.jpg32善寶寺龍王殿s.jpg33善寶寺龍王殿菊紋s.jpg

1,100年の時を超えて現れた
神秘の尊像と感動対面。

 本堂「感慶殿(かんのうでん)」は、樹齢450年の杉を従えた長い石段の先にある。
 30分毎に行われる拝観の受付は、隣接する御守札授与所で行っている。早速、申し込み(大人一人500円)を済ませ、呼び出しまで寺の歴史資料や鶴岡出身の小説家、藤沢周平のエッセイ原稿、徳川吉宗の書跡などが並ぶ「慈照殿」を見学。
 やがて時間となり、他の参拝者とともに本堂で説明を受けた後、いよいよ1,100年もの間、歴代住職だけが拝観を許されてきたというご尊体が待つ奥の院「龍王殿」へ。ここからは撮影禁止だ。神幕で遮光されたほの暗い堂内は、海の水面を模した艶やかな漆塗りの床に黄金色の逗子が輝いている。見上げた格天井にはびっしりと、海にまつわる絵柄も見える。
 ご尊体は、開扉された逗子内にあった。高さ25cm程だろうか。中央で法華経を守護する北辰妙見大菩薩(ほくしんみょうけんだいぼさつ)の両脇に、龍王と龍女が寄り添っている。よく見ると菩薩の頭上には、龍の形を模した珍しい北斗七星の彫りが。小ぶりながらも威厳に満ちた神々しさに、思わず合掌。善寳寺は古く有栖川宮家の祈願所で、堂内には随所に菊の御紋が配され宮家の霊牌所も並祀されていた。
 冷めやらぬ興奮を鎮めるべく、本堂の奥座敷で中庭を見ながらしばし休憩。波の“うねり”を象ったという荘厳な亀甲葺(きっこうぶき)の「龍王殿」を外観からも拝観することに。

39善寶寺秋葉堂下s.jpg41善寶寺長峰道s.jpg42善寶寺長峰道三重三観音s.jpg
44善寶寺月喰みの池s.jpg46善寶寺龍神堂前龍木s.jpg51善寶寺龍神堂後ろ御水取り淨域s.jpg
48善寶寺龍神堂前池の鯉s.jpg49善寶寺人面魚?s.jpg54善寶寺五重塔前で修行僧s.jpg善宝寺 御朱印.jpg

今なお龍神が棲む伝説の池に
龍の眷族を探しながら。

 「龍王殿」に来る途中、山中へと伸びる小道を発見!どうやら寺のもうひとつの見どころ、龍神伝説で知られる「貝喰(かいばみ)の池」へと続く参道らしい。「長峰道三十三観音霊場」と名付けられた巡礼路は、道沿いに33体の観音像が祀られているようだ。池へは一度山を降りて向かう道もあるが「せっかくだから…」の連れの一言で、この道から向かうことにした。苔むした石仏が穏やかな表情で佇む山道は、ひんやりと心地よい空間。整備された巡礼路を参拝しながら進むこと約20分、「貝喰の池」へと到着。
 伝承によれば、妙達上人の功徳を喜んだ龍神が寺の守護を約束し、この池に身を鎮めたのだという。25年程前には“人面魚”でも、一躍話題を集めた場所だ。賑わいの夏を終え、池は名残の緑を謳歌する静かな瑞々しさに溢れていた。周囲には水面にかしずくように枝を垂れた、龍さながらの木々もある。池の奥に構える「龍王堂」の裏手には、仏画のように美しい山水を湛えた奥の院の「お水取り浄域」が俗世と離れた時を刻んでいた。
 「あれじゃない?」と、興奮気味の連れが指差す先には、群れ集う仲間から悠々と離れて泳ぐ“人面魚”らしき鯉の姿が!龍神の遣いとも言われる人面魚。なるほど、この地で出逢えば龍に身を変える話も、まんざら嘘ではないかもしれない(笑)。
 戻りは正参道を下り、途中で分岐して本堂へと続くルートで一周。小気味の良いリズムの祈祷太鼓が響く中、石段下では修行入りする一人の雲水が五重塔に向かい、絞り出すような大声で挨拶をしている。今なお繰り返される道場の日常に、厳粛な気持ちで御朱印をいただき寺を後にした。

55金沢屋s.jpg57金沢屋s.jpg58金沢屋s.jpg60金沢屋前蕎麦花s.jpg

 少し遅めの昼食に向かった近くの“麦きり屋”は、残念ながら定休日。急遽、鶴岡市街近くまで足を伸ばし、月山を望む長閑な田園風景の中に佇む「金沢屋」で、山形蕎麦と麦きりが楽しめる「あいもりセット」(1,080円)をいただく。約200年前の酒蔵を改装した店は、太い柱や梁が目を引く風格ある佇まい。ちなみに、“麦きり”とは庄内地方特有の細打ちうどんだ。店では石臼による自家製粉で、驚くほど滑らかな喉越しの十割蕎麦とコシのある麦きりが楽しめる。それぞれの麺の味を引き立てる2種類の麺つゆで、その美味を堪能。刈り取り直前の稲穂と白い蕎麦の花を眺めながら、深まる秋に思いを馳せる。

62いさごや玄関s.jpg64いさごやロビーs.jpg65いさごや御迎茶s.jpg63いさごや奥玄関s.jpg
86いさごや部屋よりs.jpg66いさごや御部屋s.jpg71いさごや吟水湯露天s.jpg
74いさごや茶寮月岡s.jpg76いさごや茶寮月岡魯山人器s.jpg79いさごや夕食s.jpg80いさごや夕食.JPG
81いさごや夕食s.jpg82いさごや夕食s.jpg83いさごや夕食s.jpg85いさごや朝風呂s.jpg88いさごや朝食s.jpg

水に戯れ、水を楽しむ。
心潤う海辺の湯宿の夢一夜。

 滞在中、お世話になった「游水亭 いさごや」は、湯野浜温泉の海沿いに建つ純和風旅館だ。“游水亭”の名の如く、館内は水の流れをいざなった料亭風のアプローチをはじめ、涼やかな池泉庭園、品よく配された生花など、季節の瑞々しさを宿した和の美が息づく。
 もてなしの中で最も印象に残ったのは、何と言ってもラウンジでの呈茶の後に案内された、部屋からの贅沢な景色だ。大きな一枚ガラスの向こう、視線を遮るものが一切ない海の眺望が無限の奥行きで横たわっている。宿の部屋からは全室この海景が楽しめるらしい。
 素晴らしい眺望はもちろん風呂でも堪能できる。館内にある趣異なる6つの風呂のうち、景色を望む「吟水湯」は時間帯による入れ替え制。海にひたるような少し塩辛い湯に浸かりながら、謳うように、眠るように暮れていく景色に心身が癒される。水平線に溶け落ちる夕陽の美しさはまた格別に違いない。
 “器は料理の着物”の名言で知られる北大路魯山人(きたおうじろさんじん)の“うつし器”による料理が楽しめるのも、いさごやの魅力のひとつ。魯山人の器のギャラリーも兼ねたダイニングでは、目の前に本物の芸術を鑑賞しながら季節の食事がいただける。気になる料理は地元で水揚げされた旬の海の幸、山の幸を、上品なあしらいで仕上げた“庄内浜会席”。コースの途中には、料理人が目の前で焼き上げる割烹のような一品もある。多彩な地野菜に旬の地魚。郷土食の豊かさでも秀でた山形は、和酒もワインも選ぶのに事欠かない。宿を訪れるならぜひ、力強い地味に合うマリアージュを、迷いながら楽しんでいただきたい(笑)。
 晴れた朝。連れは蒼い海辺の風呂で、詩人気分を愉しんだようだ(笑)。朝食は、目にも朝ごはんの景色を見ながら。思えば穏やかな海の時間に抱かれ、一夜ながら驚くほど、ゆるとろりと伸びやかな滞在だった。
 東北の中でも郷土の独自性や歴史の深さ、食の豊かさに圧倒される庄内の旅は、そのひとつひとつを、ゆっくりと味わうように楽しみたい。歴史好きなら尚更、龍神を感じる海のいで湯に浸かり、「善寳寺」を2日かけてじっくり訪れてみるのもいい。歳を経て愉しみたいひとときとは、土地の息吹に触れる濃密な時間そのものだ。そう思える庄内の極旅だった。




【御開帳の善寶寺参り 詳細】

善寶寺マップ.jpg

■湯野浜温泉
鶴岡市街地から車で約20分。天喜年間(1053~1058)に、亀が海辺で湧き出す湯で傷を癒していた伝説から古く“亀の湯”と呼ばれた海辺の温泉郷。庄内砂丘の南端に位置する白砂青松の美しい海岸は、海水浴場やマリンスポーツスポットとしても人気。日本のサーフィン発祥の地とも言われ、江戸時代には“瀬のし”と呼ばれる一枚板で波乗りが行われた記録が残る。山形の上山温泉、福島の東山温泉と並ぶ奥羽三楽郷のひとつ。
61湯野浜遠景.JPG

■龍澤山 善寳寺 りゅうたくさん ぜんぽうじ
天慶年間(938~947)、高僧の妙達上人が建てた龍華庵を前身とする古刹。室町時代には寺屋を建立し山号を龍澤山、寺号を善宝寺と改称。龍神様の寺として広く信者を集め、妙厳寺(愛知県豊川市)、最乗寺(神奈川県南足柄市)と並ぶ曹洞宗三大祈祷所。2015(平成27)年には「龍王殿」「総門」「山門」「五重塔」「五百羅漢堂」「龍華庵」の6棟が国の有形文化財に指定。地域の信仰の中心でもある寺は宿坊もあり、龍王講や季節催事、精進料理体験、参禅会(毎月第2土曜)も開催している。

住所/山形県鶴岡市下川字関根100
TEL/ 0235-33-3303
拝観料/無料 *御開帳は大人一人500円
駐車場/有
*祈祷時間 5時半・8時・10時・14時・16時 通年毎日厳修
↓パンフレットはこちら
善寶寺パンフ01.jpg

善寶寺パンフ02.jpg

善寶寺参拝図.jpg

・龍華庵  りゅうげあん
1880(明治13)年に再建。本尊は観音菩薩で、内陣天井には棟梁が天井画まで関わったとされる雲龍図が描かれている。
03善寶寺龍華庵.JPG

・総門
善寳寺への第一関門。1586(安政3)年に再建された四脚門。龍が持っている宝珠は如意宝珠で願い事が叶うといわれている。
05善寶寺総門.JPG06善寶寺総門.JPG

・五重塔
1893(明治26)年、第33世月円禅山和尚により、漁業関係者の発願による我が国唯一の“魚鱗一切の供養”の塔として建立。力強い造作と十二支を司る精緻な十二神将の細工彫りは、明治時代宮大工と漁業者たちの繁栄を物語る。
07善寶寺五重塔.JPG10善寶寺五重塔内仏.JPG

・五百羅漢堂
1855(安政2)年、落成。赤瓦葺入母屋の大屋根にて内部空間を活かした総欅造りの伽藍。内陣には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩を配した釈迦三尊を安置。極彩色の五百羅漢は北前船による当時の交流を物語る北海道松前郡の豪商より寄進されたもの。
11善寶寺五百羅漢堂.JPG12善寶寺五百羅漢堂.JPG

・山門
1692(文久2)年に再建。総欅造り、銅板葺きの重厚な二重門。楼上には宝冠釈迦如来と十六羅漢」を奉祀。明治時代、廃仏毀釈で羽黒山から移された二大尊天の毘沙門天と韋駄尊天を配している。
17善寶寺山門.JPG19善寶寺山門韋駄天.JPG18善寶寺山門毘沙門天.JPG

・弥勒堂
宝暦年間(1751~1764)、未曽有の大飢饉、悪病を封じるため建立。安置された弥勒菩薩は大阪で造られ海上を船で輸送された折、誤って首が海中に落ち胴体のみを運び到着後に首を造作したと伝わる。周囲には廃仏毀釈の際、羽黒山から譲り受けた七体の地蔵も安置。
14善寶寺弥勒堂.JPG

・感應殿  かんのうでん
善寳寺本堂。1960(昭和35)年、開堂。和様唐様折衷様式の寄棟本瓦葺で南部ヒバ材総檜造りの荘厳な建築。
23善寶寺感慶殿・本堂.JPG26善寶寺感慶殿内観.JPG

・慈照殿  じしょうでん
現在は寺の歴史にまつわる資料をはじめ、歴代住職の尊像などを展示する資料館となっている。
29善寶寺慈照殿内資料室.JPG31善寶寺感慈照殿吉宗書.JPG

◎藤沢周平  ふじさわ しゅうへい
現代日本を代表する時代小説家。山形県鶴岡市出身。1973(昭和43)年に「暗殺の年輪」で直木賞受賞。「たそがれ清兵衛」「武士の一分」「蝉しぐれ」など、剣客、市井の庶民、下級武士などを描く時代小説や伝記などを手掛け“小説職人”と評された。作品には故郷である庄内の風景もモチーフとなっている。
30善寶寺感慈照殿藤沢書.JPG

・僧堂 *内部見学不可
修行僧が坐禅を中心とした修行を続ける専門道場。善寳寺では現在も多数の雲水が安居中。現在、雲水たちの修行道場は大本山僧堂がある永平寺と総持寺および全国24ヶ所の専門僧堂のみ。

・龍王殿 *御開帳は2016年10月28日(金)まで
1446(文安2)年、浄椿禅師の創建と伝わる。現建物は1833(天保4)年に再建。“龍道大龍王”と“戒道大龍女”の両大龍王尊を祭祀すると共に開山堂をも併せている。亀甲葺と言われる八棟造形式の銅板屋根は海の波を型どり、軒組には波に鯉、鯱、雲と草花の精緻な彫り物が配された荘厳な建築。
32善寶寺龍王殿.JPG33善寶寺龍王殿菊紋.JPG

・長峰道三十三観音霊場
本堂裏手から貝喰みの池まで続く、所要時間約20分の巡礼路。木立の中、歩行禅もできる道沿いには祠や石仏が安置されている。
41善寶寺長峰道.JPG43善寶寺長峰道祈.JPG42善寶寺長峰道三重三観音.JPG

・貝喰みの池  かいばみのいけ
妙達上人の功徳を受けに姿を顕したに二龍神が、この池に身を隠したと伝わる伝説の池。室町時代、太年浄椿(たいねんじょうちん)禅師が伽藍を整備、修繕したところ、池から再び二龍神が姿を顕し、未来永劫の寺守護を約束し池に帰ったと伝わる。1990年代には、“人面魚”のいる池として一躍話題になった。貝喰みの池は、藤沢周平の作品「龍を見た男」にも登場。
44善寶寺月喰みの池.JPG

・龍神堂
貝喰みの池のほとりにある御堂。二龍神を祭祀。
45善寶寺龍神堂.JPG

・お水取り浄域(奥の院)
龍神道の裏手にある小堂のある湧水聖域。例年2月には、参拝者の手によってここで汲まれた水を龍王殿に捧げる“お水取り式”が執り行われる。
51善寶寺龍神堂後ろ御水取り淨域.JPG52善寶寺龍神堂後ろ御水汲む.JPG

■羽黒のそば蔵 金沢屋
鶴岡市羽黒の入り口にあるそば・麦割り専門店。二百年前の蔵を移築した空間の中、そば粉は石臼による県産そばの自家製粉を使用。のど越しのよい十割そばは、コシのある麦きりとともに評判。そばしるこ、そば茶あんみつなど蕎麦屋ならではの甘味も好評。

住所/山形県鶴岡市羽黒町三ツ橋前田163
TEL/0235-62-4564
営業時間/11:00~16:00
定休日/不定休
駐車場/有
55金沢屋.JPG58金沢屋.JPG59金沢屋.JPG

■游水亭 いさごや
湯野浜温泉の波打ち際に建つ湯宿。料亭を思わせる風流なアプローチをはじめ、館内はしっとりと落ち着ける純和風の佇まい。全客室より海を一望でき、特に夕日の美しさは格別。器にもこだわった料理は庄内の山海の旬を、素材を活かし上品に仕立てた浜会席。和の美を追及した趣異なる6つの風呂など、海のやさしさに抱かれる贅沢な休日が味わえる。

住所/山形県鶴岡市湯野浜1-8-7
TEL/0235-75-2211
チェックイン 14:00  チェックアウト 11:00
日帰り入浴/10:30~15:00(食事付・料金はお問合せください)
【泉質】ナトリウム・カルシウム塩化物泉
交通/JR鶴岡駅から庄内交通バス・湯野浜温泉行き、終点下車で約40分
   JR鶴岡駅から車で約20分
駐車場/有
64いさごやロビー.JPG63いさごや奥玄関.JPG71いさごや吟水湯露天.JPG
74いさごや茶寮月岡.JPG80いさごや夕食.JPG82いさごや夕食.JPG

◎北大路魯山人  きたおうじ ろさんじん
日本の芸術家(篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家)。1919(大正8)年、大雅堂美術店を開き、1921(大正10)年に美食倶楽部、1925(大正14)年には料亭星岡茶寮を営み、料理に適した器を求めて昭和初期から作陶を試みる。1936(昭和11)年以降は陶芸に専心。多種の技法に通じ、様々な古陶を再現しつつ自由な作風を示した。

73いさごや茶寮月岡魯山人器.JPG75いさごや茶寮月岡魯山人器.JPG76いさごや茶寮月岡魯山人器.JPG