あの名曲を生んだ、
雪の降るまち、鶴岡。


2018年2月某日
冬の愛唱歌「雪の降るまちを」をご存じの方も多いことだろう。しかし、半世紀以上に渡り人々に歌い継がれているこの曲の発想地が、実は鶴岡であることを知る人は少ないかもしれない。
名曲「雪の降るまちを」は、作曲家の中田喜直が鶴岡で過ごした雪の一夜に曲想のイメージを得て、内村直也に作詞を依頼して生まれたという。鶴岡ではこれにちなみ、毎年行われる「鶴岡音楽祭」(2月上旬)のフィナーレ曲として今も親しまれている。
市内では12月から3月にかけ「鶴岡冬まつり」と称し、「日本海鱈まつり」(1月下旬)を皮切りに「大山新酒・酒蔵まつり」(2月中旬)、「金峯山雪灯篭祭」(2月下旬)など各地でイベントが開催される。一方、羽黒山の「松例祭」(12月31日~元旦)や黒川能の「王祇祭 (おうぎさい)」(2月1日)、「蝋燭能」(2月第4土曜日)といった伝統神事もシーズンを迎え、訪れる愉しみに満ちている。





12月下旬から2月下旬にかけては「鶴岡公園」にある明治・大正時代の洋風建築「旧西田川郡役所」と「大寶館( たいほうかん)」の幻想的なライトアップも行われていると知り早速、現地へ。
豪雪の月山越えを覚悟して出掛けた山形自動車道、112号線は除雪も行き届き、肩透かしな程に順調(笑)。目指す「鶴岡公園」には、予定より早めの到着となった!ちなみに公園周辺は、大学キャンパスも隣接しているせいか無料駐車場も充実している。
16時半に始まるライトアップまで、周囲をしばしリサーチしてみる。「旧西田川郡役所」は「致道博物館」の敷地内にあった。そこから「大寶館」までは歩いて5分程度だろうか。2つの建物は公園内を横断して走る県道47号線沿いに位置している。
日没とともにぐっと寒さを増し、またちらつき始めた雪に舞台の演出は最高潮!紫から蒼へと深まる闇に、夢のようにぼうっと浮かび上がる建物は、どこをとっても絵になる。人影もまばらな静けさの中、街路樹の梢や屋根瓦に降り積もる細かな雪が浮き彫りにしていくディティールは、ガラス細工のような繊細な美しさだった。





春待ちの宿がもてなす、
雛あしらいの妙。
鶴岡公園から湯野浜温泉までは約30分。いさごやに着いたのは夜の帳もすっかり降りた頃。宿には少し遅い到着になる旨は、あらかじめ申し伝えておいた。
ラウンジの一角には季節柄、“立ち雛”や“次郎左衛門雛”といった、宿が所蔵する貴重な時代雛が展示されている。「そういえば鶴岡には、沢山残っているのよね」と連れ。
部屋に荷物を下ろし着替えて向かった夕食の前菜も、この季節は雛祭りのあしらいだ。啓翁桜が添えられた愛らしい内裏雛の珍味入に目を細め、まずは白酒で乾杯!今夜の焼物は庄内に春を告げる「桜鱒の木の芽焼」。客前料理の「焼ずわい蟹」は、贅沢に甲羅の蟹味噌(!)をたっぷりつけて。その名のとおり、雪に見立てたフワフワの“綿菓子”がトッピングされた「雪鍋 山形牛のすき焼」は、鍋の上から割り下をじゅっ、とかけていただく愉しい趣向。周囲に広がる甘辛い香りと、雪の下から顔を覗かせる山形牛のツヤツヤとした脂身も食指をそそる。締めの飯物は、ちらし寿司に蛤の潮汁。まさに想い出のメモリーもお腹一杯になる、いさごやらしい演出だった(笑)。
翌朝の日本海は予想に反し、穏やかな春隣の装い(笑)。とはいえ沖を吹く風は強いのか、霞の向こうにぼんやりと風力発電の巨大な風車の姿も見える。
湯煙に溶ける朝陽の美しさを「月水湯」で堪能して向かった朝食は腹にすとん、と落ちる滋味揃い。陶板で焼き上げるハタハタの醤油漬も、卓上で仕上げるアツアツのめかぶの味噌汁も、体をほっと包み込む身土不二の美味だった。









酒井家250年の
歴史が息づく、鶴岡公園。
宿を後に再び「鶴岡公園」へと向かい、膝まですっぽりと埋まる雪で覆われた園内を散策。市の中心部に位置するここは、庄内藩酒井家が約250年来居城とした鶴ヶ岡城址で、敷地内には堀や石垣、樹齢数百年の老杉がかつての威風を伝えている。
誰の気遣いだろうか。寒空の下、独り佇む酒井調良(さかい ちょうりょう/庄内柿開発の功労者)の胸像もこの季節はユニークな白頭巾のいで立ちだ(笑)。園内北側には名曲「雪の降るまちを」の発想の地を記念したガラス製のモニュメントが、巨大な雪の結晶のように凛と佇んでいた。
敷地の中央、かつての本丸跡にある「庄内神社」は初代、酒井忠次を筆頭に、4人の藩主を追慕し明治10(1877)年に創建された社だ。ここでは冬季だけのレアな御朱印がいただけるらしい。社務所に申し出、出来上がりを待つ間、宮司の方に促されしばし社殿の中を見学させていただくことに。
美しい天井絵が印象的な拝殿の隅には、ここにもまた雛人形が飾られている。伺えば、ちょうど3月1日から市内各所で鶴岡の旧家に伝わる時代雛を展示する「鶴岡雛物語」が始まるという。「宜しければ当社の宝物殿でも、ひと足早くご覧いただけますよ」と案内され、そのまま隣り合う宝物殿へ(大人1人200円)。
巨大な雛壇が目を引く堂内には、豪華な衣装をまとった江戸中期の“享保雛”をはじめ、“古今雛”や“芥子雛(けしびな)”といった典雅な時代雛がズラリと並んでいる。向かって左に女雛、右に男雛という左右逆の飾り方は、北前船の影響を受けた関西式だ。お内裏様の背後に“立ち雛”を飾るのは、この地ならではの様式とのこと。
ちなみに昔話の主人公や七福神などを模した素朴な“瓦人形”も、ここでの見どころのひとつ。かつてこの地の屋根瓦職人が冬に作っていたというこの土人形は、当時、高価だった京雛に代わり、庶民が愛でる郷土雛として愛されたという。
神社のすぐ周囲には藤沢周平記念館や護国神社、昨夜ライトアップに訪れた「大寶館」(郷土人物資料館)もある。興味のある方は、ゆっくりと見てまわるのもいいだろう。
ちなみに通常、雛菓子と言えばあられや干菓子が一般的だ。しかし、京都と江戸の文化を取り入れ独自に発展してきた鶴岡ではこの季節、“おひな菓子”と称し、桃や鯛、地場の伝統野菜などの縁起物をかたどった彩り鮮やかな上生菓子の和菓子膳を供える伝統が今も受け継がれている。土産探しがてら、連れの希望で向かった瀟洒な外観の「木村屋 本店」も、それを扱う老舗のひとつ。店内に並ぶ銘菓に迷いながら、急遽、私たちも春らしい生菓子とお茶で“にわか雛茶会”(笑)。ちいさな和菓子ひとつにも、鶴岡の歴史と文化は息づいている。









黒いマリアが微笑む祈りの聖堂、
鶴岡カトリック教会。
最後に訪ねた「鶴岡カトリック教会 天主堂」は、赤い塔屋がひときわ目を引く白亜の聖堂。1903(明治36)年に建てられたロマネスク様式の木造の建物は、この様式では東北最古のもの。その希少性から国の重要文化財にも指定されている。聖堂の建つ敷地はかつての庄内藩家老の屋敷跡で、入口には当時の武家屋敷の面影を残す門が今なお現存し、和洋混在の不思議な存在感を放っている。
“ご自由にお入りください”と書かれた案内に導かれ、恐る恐る堂内へ。内部は高い天井に、何本もの柱が立ち並ぶバジリカ型と呼ばれる神々しい造り。今なお現役の祈りの場として使用されているためか隅々まで美しく手入れされ、畳敷きの床をはじめ、艶を増した木肌など、神聖な佇まいの中にもどこか心地よい温かみがある。
ここを訪れた目的はこの意匠もさることながら、国内で唯一という世界でも珍しい「黒いマリア像」にもある。像は向かって左側にある副祭壇にひっそりと安置されていた。
聖母の肌がなぜ褐色なのかは、はっきりとは分からないらしい。一説によれば、マリアの顔が熟した小麦色のようであったという旧約聖書の解釈や、大航海時代、原住民への布教のために造られたという説もある。いずれにせよ謎を秘め、幼な子を抱く聖母の穏やかな微笑みは、どこか神秘的だ。ちなみに堂内を飾る窓は、透明な紙に描かれた聖画を2枚のガラスで挟んだ“窓絵”と呼ばれる独特の技法で、これもまた国内でここだけの意匠だという。
聖堂は朝7時から夕方6時頃まで開放され、いつでも自由に見学できる。しかし、ミサ等が行われている場合は静かに見学するか、時間を少しずらすなどの配慮をして欲しいとのこと。同じ敷地内には幼稚園も併設されている。訪れる際はくれぐれも、人々の静かな祈りの日常を壊さない節度を持った行動をお願いしたい。




帰り道に立ち寄った「穂波街道 緑のイスキア」は、田園地帯にぽつんと建つイタリア料理の人気店。ナポリのイスキア島で修行し、本場の大会で日本代表として銀メダルを受賞した実績を持つオーナーが作るピッツァは、東北で初めて“真のナポリピッツァ協会”に認定された本格派だ。店は“種を蒔くことから始まるレストラン”をコンセプトに、敷地内にある農園で栽培した新鮮野菜を使った家庭的で本格的な南イタリア料理を提供している。客席からも見えるナポリ製の薪窯で一気に焼き上げるピッツァは、周囲に広がる香りごとご馳走の絶品。私たちがオーダーした「マルゲリータ」(1,580円)と、三日月形の包み焼きピッツァ「平田牧場金華豚の特製サルシッチャのせ」(1,580円/季節限定)も、カリッと香ばしい表面とモチモチの歯応え、たっぷりのチーズがたまらない美味さだった。
“イスキア”は生きる意欲を失った青年が美しい自然に癒やされ、自分を取り戻したと伝わるキリスト教ゆかりの島だ。思えば名曲「雪の降るまちを」の歌の最後は、“新しき光ふる 鐘の音”という、天主堂を思わせるフレーズで終わる。子供たちの健やかな成長を願うおひな菓子や、花のように梢に降り積もる清浄な雪、そしてその白い世界に映える黒いマリアと聖堂。この季節、鶴岡で出合うすべての景色は春へ捧げる人々の祈りそのものに思える。そんな想いを胸に、ふと口ずさんだ「雪の降るまちを」のメロディが、なにやらもう賛美歌のように聞こえてくるのは私だけだろうか(笑)。