8月 城下町鶴岡、丙申堂・釈迦堂と致道博物館

庄内藩城下の面影を残す鶴岡市街地。
「サムライゆかりのシルク」のストーリーを伝える建築物を巡る。

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20208月某日

 かつて庄内藩酒井家のお膝元として栄えた鶴岡はまた、城下町としても知られる。藩政時代の城や家並みは失われているが、「鶴ヶ岡城」の跡地である「鶴岡公園」周辺を中心に、江戸時代から明治・大正時代にかけての建物が点在しており、城下町の面影を残しつつ、レトロでノスタルジックな雰囲気を感じることができる。


 前回鶴岡を来訪したのは2018年の2月(詳しくはこちらの記事を参照)になるが、その年の4月、鶴岡の絹産業の歴史・文化のストーリー「サムライゆかりのシルク」が「日本遺産」として文化庁より認定された。鶴岡は明治維新以降に国内最北限の絹産地として発達し、今なお養蚕から絹織物までの一貫工程が残る国内唯一の地となっている。

 庄内地方の絹産業は、戊辰戦争で敗れた旧庄内藩士達が、刀を鍬に持ち替えて開拓した「松ヶ岡開墾場」に桑の木を植えたことに始まる。故に「サムライゆかりのシルク」というわけだ。「松ヶ岡開墾場」には2017年9月に訪れている (詳しくはこちらの記事を参照)ので併せてご覧いただければ幸いだ

 今回の旅では、鶴岡の市街地にある旧風間家住宅「丙申堂」と別邸「釋迦堂」、そして「致道博物館」を訪ねてみた。いずれも「サムライゆかりのシルク」構成文化財となっており、歴史を物語る建築物であるとともに、当時の一大輸出品であった絹が支えた日本近代化の原風景でもある。


 コロナ禍の中、旅行や観光の在り方についての考慮が求められる昨今ではあるが、「新しい旅のエチケット」に配慮しつつ旅の魅力をお伝えできればと思う。



内藩の御用商人として領主との関係も深い風間家

維新後の地域経済を発展させた豪商の繁栄ぶりが垣間見える丙申堂


 「丙申堂」は明治29(1896)年、風間家の住居兼営業拠点として7代当主幸右衛門によって建てられた。「丙申堂」の名は、この年の干支が丙申(ひのえさる)だったことにちなんで8代当主が名付けたという。「鶴岡公園」の東側に位置し、以前に訪れた「鶴岡カトリック教会 天主堂」からもほど近い。駐車場は主屋の裏手にあるが、「鶴岡公園」から歩いても10分とはかからないだろう。


 風間家は藩政時代には庄内藩酒井家の御用商人を務め、維新後も大地主として地域経済の発展に貢献した鶴岡一の豪商だ。のちに風間家が設立した風間銀行は現在の庄内銀行の前身行の一つになっている。風間家7代当主の幸右衛門は、鶴岡の絹産業に投資し、自らも織物会社の社長を務めて産業の振興に力を注いでいる。


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 庄内藩要職者の屋敷跡に建てられた敷地の面積は、780坪を優に超える広さ。往時の商家の特徴をよく残す貴重な建築物として、建物の各所が国から有形文化財や重要文化財の指定を受けているが、医薬門は約200年前のもので、もとの武家屋敷の屋敷門がそのまま表門として残されている。

 表の道路からは全容が分かりづらいのだが、主屋に入ると大豪邸と呼ぶにふさわしいそのスケール感にあらためて驚かされる。係の方が風間家の歴史や見どころなどをガイドをしてくださるのもありがたい。 

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 どの案内の内容も興味深いが、主屋の「杉皮葺き石置屋根」は特筆すべき特徴の一つだろう。石置屋根は瓦屋根が普及する以前の工法で、庄内のように風の強い地域においては、屋根材が風で吹き飛ばされないための工夫でもあった。

 現存する石置き屋根の建物は全国的に見てもそう多くはなく、庄内ではここの他に酒田に一軒を残すのみだという。規模の面でも「丙申堂」ほどのものはなかなか見られない。約4万個・30tもの石がびっしりと屋根に敷き詰められており、2階から間近に見る屋根の様子は壮観だ。

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 主屋の両側には美しい庭園が配され、どの座敷からもその景観を楽しめる。見る場所によって趣が変わるのも大邸宅ならではの贅沢か。来客用に使われた「小座敷」と呼ばれる部屋は、二方から庭園を臨み、狆潜り(ちんくぐり)に施された「梅に鶯」の彫刻や、釘隠しのデザインなど、意匠の上でも凝った造りになっている。

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 この部屋はまた、鶴岡出身の小説家・藤沢周平の作品を映画化した『蝉しぐれ』のロケ地としても使われている。他にも御座敷で『必死剣 鳥刺し』の撮影が行われるなど、建物自体は明治のものだが、なるほど藤沢作品の「海坂藩」の世界観にぴったりはまるのはうなずける。

 藤沢周平の時代小説に描かれる「海坂藩」の風土情景は、彼の生まれ故郷である鶴岡を本拠地とした「庄内藩」のそれがモデルだといわれており、鶴岡にはこの他にも藤沢作品の映画のロケ地が点在している。

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 「通り」と呼ばれる大廊下の奥は「板の間」に面している。これがとにかく広い!この60畳もの大空間を支えるのが、三角形を組み合わせた「トラス構造」の梁と中心の大黒柱だ。明治27(1894)年に発生した庄内大地震を教訓に、耐震を考慮した構造にしたのだという。

 この構造は、当時最先端だったフランスの建築技術をいち早く取り入れ、洋式のトラスと和式のトラスを組み合わせる工夫がなされている。あらゆる方向の揺れに強く、震度6にも耐えられるといわれる。また、見た目にもモダンな美しさを感じられる。

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 「板の間」に続く台所も、今までに見たことがないような広さだ。いかに多くのまかないが必要であったかということだろう。さらに関心をひかれたのが「大工部屋」だ。大工は新潟から呼び寄せ、営繕のために常時2〜3名がこの部屋に寝泊まりしていたというが、日頃から建物のメンテナンスにも怠りなかったことがうかがえる。

 他にも大きな金庫が置かれた蔵など、随所に豪商の凄味のようなものを感じとることができ、期待以上の見ごたえがあった。連れが感嘆をもって「お金持ちってこういう(お金の使い方を知っている)ことをいうのね。」という感想を漏らしていたが、まさに、である。



客人をもてなす美しい庭園。
綴錦織の世界的名匠が平和への祈りを織り上げた釈迦堂。

 風間家別邸「釈迦堂」へは「丙申堂」から歩いて1分ほど。「丙申堂」と共通の券で入館することができる。「丙申堂」と同様に、係の方が見どころなどを教えてくださる。

 「釈迦堂」は明治43(1910)年に風間家の別邸として建てられた。来賓の接待に使われていたというだけあって、建物には良質の杉材が用いられ、小規模ながらも質の高いつくりだ。明治期の貴重な建物ということで国の有形文化財の指定を受けている。

 正式名称は「無光量苑 釈迦堂」。これは風間家が代々浄土真宗に信仰が篤かったことに由縁を持つ。建築時より上座敷に「無量光」の額を掲げていたことから、8代当主が建物と庭園を含めて「無光量苑」と名付け、さらに9代当主が上座敷の床の間に御石仏釈迦像を安置して、「無光量苑 釈迦堂」と命名したという。

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 施されている意匠も優れており、例えば狆潜り(ちんくぐり)の彫刻は「松に鶴」。これは「丙申堂」の「梅に鶯」と対のような形になってる。釘隠しのデザインも、折り鶴やとりどりの草花など、バラエティーに富み小技が効いている。

 だがなんといっても庭園が素晴らしい。座敷からの四季折々の眺めは、さぞかし客人への極上のおもてなしだったことだろう。関係者の集会所としても使われていたそうで、明治43年に撮られたという庭園の写真には風間家所縁と思しき方々の姿がある。

 800坪もあろうかという広大な庭園には、樹齢200年を越えるソメイヨシノ、山桜、枝垂れ桜、ツツジ、モミジ林、ツバキ、ハギなど数十種の花木があるが、いちばんの見頃はツツジの季節だという。何年か前の5月頃に撮ったという写真を見せていただいたが、その見事さには連れも思わず「綺麗!」と声をあげていた。実物はいかばかりか。

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 昭和27(1952)年以降は風間家当主の私邸となっているが、第二次大戦の終戦時から昭和26(1951)年頃までの一時期、鶴岡出身で綴錦織の大家・遠藤虚籟氏と、その弟子の和田秋野氏が居住し、工房として使っていたという。

 綴錦織は絹織物の手織り技法のひとつ。ヤスリで櫛形に整形した自分の手の爪を使い、横糸を一本一本織り込みながら細かな文様を織り上げていく。緻密で繊細な技、根気、そして膨大な時間を要し、作品は芸術品と称される。遠藤虚籟氏は独学で綴錦織の研究を重ね、その技法を極めた第一人者だ。

 疎開のため生まれ故郷である鶴岡に身を寄せ、苦境を舐めながらも、制作に打ち込むかたわら技術の伝承にも尽力した。この地で完成させた「綴錦織曼荼羅中尊阿弥陀如来像」には平和への祈りが込められており、全日本仏教徒の総意のもとに国連本部に贈呈されている。これもまた鶴岡の絹物語の一部であろう。

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 庭園の一画には平成28(2016)年にオープンしたという「釈迦堂ティーハウス」もある。茶室を備えた現代和風のお休みどころだ。カラスばりの休憩室には木のテーブルと椅子、セルフ式のドリンクサーバーが置かれ、ここでお茶を飲みながらゆっくりと庭園を眺めることができる。

 飲み物は緑茶・紅茶・コーヒー・りんごジュース、それぞれアイスとホットを選ぶことができ、なんと無料。この日は暑かったのでアイスコーヒーをいただきほっと一息つく。



夏の穏やかな日本海を目の前に。

いさごやにてプライベートスパと極上の味覚を堪能する。


 鶴岡市街地から車でおよそ20分、湯野浜温泉に向かう。湯野浜の海岸沿いには大小の宿が立ち並ぶ。今回の宿りも「游水亭 いさごや」だ。玄関の暖簾をくぐるとおもてなしの空間に誘われる。

 まずはラウンジで一服。窓の外に設えられた池には白い睡蓮の花が浮かび涼を呼ぶ。ラウンジの一画はライブラリーになっており、自由に閲覧できる。

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 客室からは海が一望。冬は荒波で知られる日本海だが、夏は表情が一変して穏やかな波が静かに寄せ返す。例年なら海水浴客でいっぱいのはずの浜辺も今年は様子がちょっと違うが、真っ青に広がる水平線が美しい。

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 ふと見ると「SUP」を楽しむ人姿が。SUPとは「Stand Up Paddleboard(スタンドアップパドルボード)」の略で、大きなサーフボードの上に立ち、パドルを漕いで水面を進んでいくマリンスポーツだ。近年じわじわと認知度と人気が高まっているという。

 そういえば湯野浜では、江戸時代から「波乗り」が楽しまれていた歴史があるのだとか。一枚板で波に乗る「瀬のし」という遊びからはじまり、やがて体一つで波に乗る「所謂湯野浜流波乗り」が生まれたという。西洋から入ってきた「サーフィン」とは違うルーツだが、これをして湯野浜を「波乗り発祥の地」とする説もあって興味深い。

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 ひとごこちついた後、チャックイン時に予約しておいた貸切のお風呂、ハイプライベートスパ『漣-REN』へ。一幅の絵のように切り取られた日本海の景が堪能できる半露天の浴室、ゆったりした総檜の桶風呂、革張りのソファーが置かれたラグジュアリーなリビング、全てがワンランク上のなんとも贅沢な空間だ。

 もとから人気のあるスペースだが、昨今の事情からか、さらに予約が増えているとか。一番の狙い目は何と言っても日の入りどきだが、潮風を感じながら、手に届くような海の景色を独り占めして温泉に浸る風情は、時を選ばず印象に残るひと時となるだろう。

*ハイプライベートスパ『漣-REN』
 スタンダードプラン 3,000円(税別)
 プレミアムプラン    5,000円(税別)(バスローブ・シャンパン付)
 各45分 チェックイン後順次予約受付

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 この日の夕陽は浜辺で、と決めていた。フロントで日の入り時刻を確認し、頃合いを見計らっていざ砂浜へ。同じように夕陽狙いのギャラリーやカメラマンの姿もちらほら。

 天候にも恵まれ、西に傾く太陽と、空と、海の、ドラマチックなショーが始まる。あたりを茜色にも朱色にも染めながら刻々と移り変わる場面は、一瞬たりとも目が離せない。

 陽が海に落ちる瞬間。太陽が沈んだのちもなお残る余韻の中、海を横切る船のシルエット。やがて静かに降りてくる宵の帳。連れの言葉を借りれば「夢みたいに絵になる。」だ。

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 お楽しみはまだまだ続く。お待ちかねの夕食の時間である。この日のお品書きは「葉月献立 海光る」。庄内の旬がふんだんに取り入れられたご馳走だ。食前酒の梅酒、先付の剥き蕎麦に始まり、前菜は「だだちゃ豆とアスパラのすり流し」他。豆と野菜の甘みが絶妙。庄内浜の地魚を盛り合わせたお造りは、サワラ、鱸、平目、ボタン海老。

 食事と一緒に楽しむ地酒は、羽黒町亀の井酒造「くどき上手」の山形県限定流通品、純米大吟醸「亀の尾30」。頼んだ一合に対し、形の違うお猪口が4つ。お猪口の形によって、香りや味わいが違ってくるのだとか。試してみると、口が広い猪口は華やかな香りがふわっと鼻に抜け、口が狭いお猪口で飲むと上質な味わいがより濃く感じるように思える。

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 焼物の「鱸の塩焼 雲丹サバイヨンソースかけ」は、程よく油ののった旬の鱸とソースの相性が抜群。板前さんが目の前で焼いてくれる「鮑の踊り焼き」は、板前さんとの会話も薬味のひとつ。新鮮な鮑のお味はいわずもがな。何もつけなくてもよし。バターを乗せて醤油をたらしていただくのもよし。

 「山形牛しゃぶしゃぶ」は霜降りの脂の旨味を堪能。お食事は、さっぱりした「冬瓜と河豚の潮汁」に、お替り可能な「浅利ご飯」。そして締めのデザートには「庄内砂丘メロンとフルーツ盛り合わせ」。どれもが美味でハズレがない。これぞ口福の極み。

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 朝風呂もまた、温泉宿の楽しみの一つだ。少し早起きして展望風呂「吟水湯」へ。広々とした「展望石風呂」につかる。ぼんやりと湯の音を聞きながら、ゆるやかな白波を眺める。「吟水湯」には趣の違った浴槽が3つあり、木肌が優しい「展望露天檜風呂」と吹き抜ける風が心地よい「露天岩風呂」をはしご湯できる。

 同じ階にはもう一つのお風呂、庭園風呂「月水湯」があり、時間によって男女入れ替えとなっている。男女の振り分けは日によって違うらしいので、どちらの朝風呂を楽しめるかは運次第。連れによれば、「月水湯」も檜のお風呂が綺麗で、なかなか良かったとのこと。

*泉質 ナトリウム・カルシウム 塩化物温泉(含塩化土類 食塩泉)
*効能 切り傷、やけど、慢性皮膚病、慢性婦人病、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、
    関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進

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 「いさごや」の朝ごはんは、いついただいてもほっとする。定番のようでいて、ちょっとずつ季節感を演出する献立は優しい美味しさ。ふっくらぷりぷりの「目鯛の味噌粕漬焼き」は、ほんのりとした甘みと焦げ目が食欲をそそる。夏野菜でつくる「山形のだし」は身体にも嬉しい心遣いだ。

 食事会場の窓からは、海辺を散歩するご夫婦(?)の姿が。我々も早めに朝食を済ませて散策する手もあったなぁ、などととつらつら考えてもみたが、満足げな連れの顔を見ればこれでよしと思い直す。さて、名残惜しいことこのうえないが、そろそろ出立の支度を整える時間だ。


価値あるレトロな建物が集結。

庄内の歴史と文化が一堂に凝縮された致道博物館。


 再び鶴岡の市街地方面に車を走らせる。「致道博物館」は「鶴岡公園」の西隣にある。昨日訪ねた「丙申堂」とは公園を挟んでちょうど対角にあるという位置関係だ。

 この場所は鶴ヶ岡城の三の丸にあたる。旧荘内藩主の酒井家が土地建物および伝来の文化財などを寄付し、地方文化の向上発展を目的として昭和20(1950)年に創設された。幕末に建てられた藩主の隠居所が残されている他、3棟の重要文化財の建物が移築され、数々の資料や文化財とともに展示されている。

 「致道博物館」の名称は、庄内藩校「致道館」に由来し、「致道」は、論語の一節「君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス」に由るとか。庄内藩校「致道館」も、ここのすぐ近くにあったのだが、訪問し損ねたのが心残りではある。

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 「致道博物館」内にある建物で「サムライシルク」の構成文化財となっているのが、「旧庄内藩主御院殿」「旧西田郡役所」「旧渋谷家住宅」だ。ちなみに「旧庄内藩主御院殿」と「旧渋谷家住宅」は、映画「蝉しぐれ」のロケ地でもある。

 駐車場からは「致道博物館」を代表する建物のひとつ「旧鶴岡警察署丁舎」が見える。2年ほど前に大掛かりな修復工事を終えたばかりだという。内部はどうなっているのか気になるが、まずは入館の受付へ。

 最初に向かった建物は、「旧西田川郡役所」。明治14(1881)年に初代県令の三島通庸の命によって建てられた。維新後の廃藩置県・郡制の施行により、鶴岡は西田川郡となり「西田川郡役所」が置かれた郡役所では当時、桑植付けに対する貸付や、繭糸品評会の開催や養蚕指導などを行っていたという。官民一体となって絹産業を発展させてきたことの一端が伺える。

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 「旧西田川郡役所」はまた、山形を代表する擬洋風建築だ。擬洋風建築とは、幕末から明治時代初期に日本人大工が西洋建築を模倣して造った建物をさすが、日本の伝統的技法と西洋的デザインが折衷された独特な個性を持つ。

 設計・施工は高橋兼吉や石井竹次郎ら。2櫂から時計塔に続く吊り階段など、要所にルネッサンス様式を取り入れた意匠が見られる。高橋兼吉は他にも庄内神社や多くの擬洋風建築を手がけ、庄内随一と言われた大工棟梁だ。「旧西田川郡役所」は山形県に数ある擬洋風建築の中でも最も古いといわれており、国の重要文化財に指定されている。

 建物の中には庄内地方の考古学や戊辰戦争関係の資料、人力車や装束など明治文化の資料などが展示されている。当時のドレスを見た連れは「昔の人はこんなに小柄だったのね。これは着られないわ…。」とちょっと残念そうだった。

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 次は「御院殿」と呼ばれる旧庄内藩主の隠居所。幕末の文久3(1863)年、11代庄内藩主酒井忠発が江戸の中屋敷を解体して、その一部を鶴ヶ岡城三の丸の御用屋敷地であったこの地に移築した。資材は北前船で運ばれたが、庄内領内の材木も多く使われたのだとか。現存するのはさらにその一部だが、酒井家伝来の文化財や歴代藩主の書画が展示されている。

 展示品のひとつに「庄内竿」のコレクションがある。「庄内竿」は庄内に自生する「苦竹」を使って造られる一本竿だ。庄内地方では伝統的に磯釣りが盛んで、藩主自らも嗜み、藩士の磯釣りを「釣道」として奨励したという。藩士たちが自作した竿でクロダイ釣りを競い合っていたとも。

 奥座敷からの「酒井氏庭園」の眺めは素晴らしく、「御院殿」の一番の見どころともいえる。典型的な書院庭園は東北地方では稀とのことで、国の名勝にも指定されている。池に映し出される緑の陰影、夏の日差しの光と影のコントラストがなんとも美しい。

 実はこの庭園は酒井氏が藩主として入国する以前からのもので、作庭年も作者も不明だという。築山林泉庭園の様式で、かつては鳥海山を借景に望むことができたというが、残念ながら今はこの場所からは見えない。それでも趣のある美しい古庭園であることに変わりはない。

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 「酒井氏庭園」を散策した後に向かったのが「旧渋谷家住宅」。いわゆる「田麦俣多層民家」をこの地に移築したものだ。「兜造り」の茅葺屋根で、「高ハッポウ」と呼ばれる高窓を持った4層構造になっている。2階から上は養蚕のための作業場や収納場などに使われた。「高ハッポウ」は元来は煙出だったが、養蚕のために採光窓に改作された。

 田麦俣は出羽三山のひとつ湯殿山の山麓にあり、もとは湯殿山参拝客の宿場であったが、明治政府の廃仏毀釈により参拝客が減少したために養蚕業に転じたのだという。豪雪地であることと、山間地で土地の確保が困難であることから、このような家の形に進化させてスペースの確保をしたものだが、均整のとれた屋根の姿が美しく、この建物も国の重要文化財に指定されている。

 この他、「御院殿」に付随して建てられた土蔵も残されており、今は「民具の蔵」として北前船関係資料や鶴岡の伝統工芸品など、庄内地方の民族資料を展示している。鶴岡の手職には心惹かれるものも少なくなかったが、今は失われているものも多いとのことで勿体無く思う。

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 「致道博物館」の収蔵品のうち、現在までに8件5,350点が重要有形民俗文化財に指定されているという。そのうちの7件3,550点を展示しているのが「重要有形民族文化財収蔵庫」だ。荷物を背負う時に使う「ばんどり」と呼ばれる藁細工の背当てや、仕事着などの生活用品のコレクション、漁業用品などがずらり。この全てが重要有形民俗文化財だと思うと改めてすごい。

 「御院殿」の入り口の対面には「赤門」がある。将軍家の姫君が酒井家に輿入れした際に建てられたもので、江戸中屋敷を移築する際に一緒に運び「御院殿」の門にしたものだと伝わる。また、「御院殿」と「赤門」の間には「御院殿の赤松」と呼ばれる見事な松が植えられている。樹齢250年以上とみられ、鶴岡の内川端にあった写真館から明治20年頃に譲り受けたものだとか。

 そしてブルーの外壁が印象的な「旧鶴岡警察署庁舎」へ。「旧西田川郡役所」と並ぶ「致道博物館」の顔的存在。こちらも国の重要文化財指定の貴重な建物だ。改修前の白い外壁の姿を知っていたので「ずいぶんと派手になったなぁ」と内心思っていたのだが、実はこの色が本来の姿なのだとか。改修時の調査の際にそれが分かり、文化庁と協議して内部の構造とともに創建時の姿に戻すことにしたそうだ。

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 明治17(1884)年、初代県令三島通庸が明治新政府の威容をあらわすべく建築したといわれる。三島通庸は土木県令の異名を持ち、地域の交通網整備や都市整備を精力的に推進した人物だ。山形県の近代化遺産や土木遺産を数多く残しているが、旧薩摩藩氏でゴリゴリの鷹派でもあるため、功罪の評価の振り幅も大きい。なかなか興味深い人物ではあるが今は深堀りしないでおく。

 設計・施工は「旧西田川郡役所」と同じく大工棟梁の高橋兼吉。入母屋造りで破風妻飾りなどを施す一方、ベランダや外部の窓回りなどはルネサンス様式を模しているなど、和洋の要素を巧みに融合させており、擬洋風建築における一つの到達点とも言われている。

 中に入るとすぐに、新たに復元されたという取調室がある。「致道博物館」の施設の内部はほとんどが撮影禁止なのだが、ここは撮影OKのスポットになっている。さっそく連れに「そこへなおれ」をさせてみる。実際はこうは言っていないだろうが(笑)。2櫂のベランダも撮影OKスポットだ。「旧田川郡役所」越しに鶴岡の景色を眺めてみる。夏空が心地いい。

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 「御院殿」の隣にある「美術展覧会場」では、企画展「日本遺産、庄内、悠久の歴史」が開催されていた。庄内は「さむらいゆかりのシルク」の他、「出羽三山」「北前船寄港地」としても「日本遺産」の認定を受けている。この【庄内の日本遺産】をテーマにした展示だ。様々な資料や宝剣なども展示されており、いろいろと興味深くはあった。

 掲示板(?)には「つるおか三寺社・祈り・プロジェクト」のポスターが。善宝寺・出羽三山神社・庄内神社の御朱印を、郵送にて受け付けるというもの。これもコロナによるものだがアイデアとしてはアリだ。アマビエのイラストも添えられていたが、疫病退散を心から願う。

 ミュージムショップでは、連れが「手ぬぐいスタンプ帳」をゲットしていた。これは1枚の手拭を冊子状に折り畳んで縫い込止めたもの。各所のスタンプを押してオリジナルのスタンプ帳をつくるのだが、すかざず「致道博物館」のスタンプを押していた模様。糸を解けばもとの手ぬぐいに戻すこともできる遊び心いっぱいのグッズで、鶴岡市内の各所にても入手可能だ。(税別1,000円)


鶴岡バイパス沿いに嬉しい驚きの麺処あり。

豊富なメニューに目移りする ら〜麺工房はくが。


 「致道博物館」をじっくり回ったので、お昼の時間はだいぶ押している。昼食については全くノープランだったが、とりあえず帰り道のルートで検索をかけて見つけたのが、鶴岡I.Cの少し手前にある「ら〜麺工房 はくが。」だ。国道7号線鶴岡バイパス沿いにあり、ホームセンターの大駐車場の一角ということで、非常に入りやすい。

 昼時からはズレた時間帯なのだが、客の出入りはちらほらあるようだ。店内はとても広く、メニューの種類もかなり多い。オーダーは、ぱっと目に止まった「あさりラーメン」(920円)と、季節限定の「冷やしみそタンタンめん」(950円)。注文するとびっくりするほど早く出てきた!

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 「あさりラーメン」は塩味であさりがたっぷり。というか、あさりしかない。しかしスープにあさりの旨味がしっかり出ていて、あっさりながら味わい深い。麺はもっちり中太縮れ麺。文句なく美味い。正直なところ、たまたま検索にひっかかって飛び込んだだけということで、それほど期待はしていなかったのだが、いやいや大変失礼しました。

 連れが頼んだ「冷やしみそタンタンめん」は、もやしたっぷり、夏野菜もたっぷり。ピリ辛のスープが中太縮れ麺ともマッチして、たいそう美味しく満足したとのこと。ちなみに「あさりラーメン」は、なぜかコーヒーゼリー付き。連れがじっとこちらを見ているので喜んで謹呈した。

 後で知ったのだが、ここは「札幌ラーメン どさん子」のフリーブランド系列店で、味噌ラーメンも美味しいらしい。と言っても系列であることを匂わすようなものは皆無で、スープも飛島の飛魚を使っていたり、独自の路線のお店のようだ。美味ければどちらでもいいのだが(笑)。こうやってアタリのお店を引き当てるのも旅の醍醐味のひとつかもしれない。

各施設の詳細と地図はこちら